人生意気に感ず「我が子より男を選んだか、シングルマザー。東京裁判で勝利した東条。大西瀧治郎と井上 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「我が子より男を選んだか、シングルマザー。東京裁判で勝利した東条。大西瀧治郎と井上

◇「昔は男より子どもをとったのに」知人の老婆は言った。奈良県の4歳の女児星華さんが母の交際相手に虐待死させられた。この種の事件が後を絶たない。報道からは詳しいことは分からないが想像は広がる。交際相手は27歳の建設作業員。女児はつぶらな瞳の可愛い子。この子から「にいにい」と呼ばれていた交際相手は兄ちゃんといった感じの少年に見える。母親には子どもを必死で守る自覚はなかったのか。男をとったのか。先の老婆の言葉が胸に突き刺さる。

 厚労省は昨年の通知で交際相手による虐待の調査や指導を徹底するよう全国の自治体に求めている。これは何を物語るのか。交際相手に関するトラブルが並の数ではないことだろう。享楽の社会で結婚観も生命観も崩れている。「にいにい、こわい」と言った星華ちゃんの心を思う。社会全体で子どもの命を守らねばならない。児童相談所の使命は重大だ。

◇昨日はマッカーサーと昭和天皇につき書いた。ここで東京裁判に関して東条英機に触れる。東条は検事キーナンの鋭い訊問に一歩もゆずらなかった。東条の胸には天皇を法廷に立たせてはならないという強い決意があった。証言台は最後の決戦の場であった。負け戦を続けてきたが一矢報いねばならない。天皇の意見には絶対に逆らえなかったと述べれば天皇に戦争責任が及ぶ。キーナンは執拗にそれを求めた。東条は巧みに切り抜けた。「天皇はしぶしぶ開戦に御同意になった」と証言し、天皇の出廷を拒むことに成功したのだ。

 昭和23年11月12日ウェップ裁判長は宣告した。「デス・バイ・ハンキング」(絞首刑)。この時東条はわずかに微笑しイヤホンを外し、傍聴席の家族にちらっと眼を向け法廷のドアから姿を消した。12月23日午前0時巣鴨拘置所で処刑された。拘置所長ベル大佐は後に語った。処刑前日東条はトイレットペーパーでこよりの紐を作り縊死を試み発見され「このまま死なせてくれ」と男泣きした。大佐は「処刑前に、武士らしく自決したかったようだ」と語ったという。ある研究者は言う。「東条は東京裁判でただ一人勝ったのではないか」。

 ふるさと未来塾では、エピソード的に東条の他、大西瀧治郎や井上成美にも触れるつもり。大西は特攻の創始者である。特攻で死んだ若者を思い、苦しんで死ぬ決意を貫き介錯を禁じ腹を十字に切り15時間もがいて絶命した。井上成美は三国同盟に反対し開戦に抵抗した人。戦後はあばら家に隠栖し清貧の中英語を教えた。毎年8月15日は一日絶食し端座して海を眺めた。(読者に感謝)