シベリア強制抑留 望郷の叫び 九十九 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

シベリア強制抑留 望郷の叫び 九十九

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。

 

 捕虜終結地から出て、十日も歩いて、ロシア領に入り、列車に乗ることになった。ここでは、ウラジオストクまで列車で行き、そこから船に乗せて帰国させると言われた。

 青柳さんたちは、ソ連兵に対する怒りや強い不信感を抱いていたので、彼らの言うことがどこまで真実なのか疑うようになっていた。九月も末が近づき、シベリアには本格的な寒さが訪れようとしていた。窓外の景色も一変した。低く垂れこめた鉛色の雲の下に広がる針葉樹林の黒い影は、酷寒の冬の到来を暗示しているようであった。

 昭和二十年十月二日の夜半に列車は止まった。翌朝早く叫ぶ声が聞こえた。

「おかしいぞ、レンガ工場だ。ここで働かされるぞ」

 着いたところはアムールの下流に近い極東の小さな町ビアゼンスカヤだった。帰国させるというのは偽りであった。人々は目の前に、広がる光景に目を疑った。そして、鉄条網に囲まれた寒々とした建物群が自分たちを待ち受ける強制収容所であることを知って愕然とした。広い敷地の四つの隅には高い望桜があって、その上には機関銃を持ったロシア兵が勝ち誇ったように敗残の日本兵を見下ろしている。

 後で分かったことであるが、ここは、終戦まではソ連の女囚の収容所であった。ソルジェニーツィンの『収容所群島』にあるようにソ連領内には、夥しい数の強制収容所があった。人々は政府に反対したとして、密告されて、ほとんど裁判も受けずに収容所に入れられた。ソ連の冷酷な収容所の制度が、外国人捕虜に対して、一層過酷であることは当然であった。このことを青柳さんたちはやがて嫌というほど思い知らされることになる。

つづく