人生意気に感ず「甘粕憲兵大尉と小林多喜二の拷問。権力の犬から学ぶこと」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「甘粕憲兵大尉と小林多喜二の拷問。権力の犬から学ぶこと」

◇16日、甘粕事件100年の節目に3人の犠牲者墓前祭が行われた。憲兵大尉甘粕正彦は関東大震災直後の混乱の中、無政府主義者大杉栄等3人を殺害し憲兵隊本部の古井戸に投げ込み古煉瓦や石で埋めた。3人の中には大杉の甥で6歳の橘宗一もいた。この橘宗一の墓碑には「犬共に虐殺サル」と刻まれている。宗一の父惣三郎による怒りと怨みは石に刻まれ永遠に消えることがない。

 甘粕は無政府主義者を「国家にとって獅子身中の虫」として絞殺した。軍国主義国家の「犬」になり下がった甘粕は懲役10年の刑に処せられたがわずか2年10ヶ月で仮出所した。甘粕はその後満州へ渡り満映理事長として活躍した。満州の文化人の眼には文化の魔王のように見えた。犬は国家という飼い主に擁護され、満州に解き放たれたがやがて敗戦と共に悲劇の結果を迎えた。関東大震災時の朝鮮人虐殺と共に記憶を新たにすべき事件である。大杉栄のことをもう少し生かしておきたかった快男児と見る人は多い。

◇甘粕事件犠牲者の墓前祭に導かれるように私の前に立ちはだかるのは小林多喜二の特高による拷問死である。小林は築地署で言語に絶する拷問により絶命。昭和8年2月20日のことだ。夜の10時頃遺体は杉並の自宅に帰ってきた。同志、友人等は別人のようになった姿に息を呑んだ。こめかみの皮が剥ぎ取られ、頬にもキリを突き刺したような傷跡があり、顎の下側は釘ぬきでえぐられたように黒い血がひからびていた。人々の中に多喜二の老母がいた。老母は屍に抱きすがり体中の傷あとを撫でさすりながら声をあげて泣き叫んだ。「ああ、いたましい、いたましい、よくも人の大事な子をこんなになぶり殺しにできたもんだ。おおっ、兄ちゃ、どこがせつなかった、どこがせつなかった」

 着物を脱がせると買ったばかりの新しいメリヤスのズボン下をつけていた。拷問をかくすために警察が着せたに違いなかった。

 日本の軍国主義の下でこのような非人道主義の事件が権力の手によって行われた事実をかみ締めねばならない。現在ロシアがプリゴジンの飛行機を墜落させ「公開処刑」として世の非難を浴びている。北朝鮮は国家目的のために大韓航空機爆破事件を起こした。戦前の日本の軍国主義も国家目的のためには個々の人命など虫けらのようであったのだ。甘粕事件、小林多喜二の虐殺から、私たちは歴史の教訓を引き出さねばならない。歴史は繰り返すが日本にとっての人道の砦は日間尊重を基盤とする日本国憲法である。そしてそれを活かすのは国民の自覚である。(読者に感謝)