シベリア強制抑留 望郷の叫び 九十七
※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。
ついに15日の朝を迎えた。この日は、早朝からラジオで、正午に重大な放送があると流していた。また、新聞の朝刊は大見出しで戦争終結を報じていた。そこで、皇居二重橋前には朝から国民が次々とつめかけていた。正午の玉音放送があってからは一段と多くの人の波が押し寄せていた。
皇居前の広場は、額を玉砂利につけてひれ伏す人、座して天を仰ぐ人、両手を上げて万歳を叫ぶ人、ただ声をあげて泣く人などで、異常な興奮が渦巻いていた。「天皇陛下、ゆるしてください」と叫び者がいる。自分の努力が足りないためにこういう結果になったことを詫びているのだ。焼土と化した帝都の一角、興奮と狂乱の渦の中で、緑に包まれた皇居は未曾有の災難をじっと耐え忍ぶように静かだった。
皇居二重橋に集まった人々の心には、天皇に対する忠誠と尊敬の念だけでなく、遠い祖先から今まで日本人の心を支えてきた基盤が音を立てて崩れてゆく歴史的瞬間に際会し、その基盤の象徴たる天皇を慈しむという念がふつふつと沸き立っていたものと思われる。
終戦を受け入れることがいかに大きなショックであったかを示す事実として、要人たちの自決がある。第一に最後まで抗戦を主張した、陸軍大臣阿南憔幾は、15日午前3時ごろ、日本刀で古式どおり腹を切って果てた。
次いで次の人々が自決した。
海軍軍令部次長 大西滝治郎
憲兵本部長 城倉義衛
航空本部長 寺本熊市
関東軍司令官 本庄 繁
東部軍司令官 田中静壱
大阪海軍監督部長 森住松雄
第一総軍司令官 杉本 元
このような動きを見れば、青柳さんが目撃した集団自決者の心理も分かる気がする。
つづく