シベリア強制抑留 望郷の叫び 九十六 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

シベリア強制抑留 望郷の叫び 九十六

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。

 

 天皇の声は淀みなく一語一語がはっきりと地下壕の一室の空気を震わすように響いた。居並ぶ閣僚やその他の重臣たちは極度の緊張で身を強張らせて一語も聞き逃すまいと耳を傾けた。今、日本の運命が決まろうとしている。天皇の一語一語は、日本の運命の姿を刻む鏨であった。その澄んだ声は淡々として感情を超越しているように聞こえた。長い苦悩の末に、万民の生命を助けたいという確信と大義に達し得たという心境が、天皇の表情に静かな決意となって現れていた。

 回答の文意に関し「先方は相当好意を持っていると解釈する」ととらえる天皇の考えは、このような高い境地に立って初めて可能となるものである。そして、事実これは、連合国の基本的態度を正しく見抜いていたのだ。「自分はいかになろうとも、万民の生命を助けたい」という言葉が発せられたとき、寂とした人々も一角からすすり泣きの声がもれた。その声が引き金になったように、別の所からも押し殺したような泣き声が聞こえてきた。今や、出席者のすべてが泣いていた。人々の慟哭する声は次室の侍従たちの所まで聞こえた。中でも阿南陸相は立ち上がる天皇にとりすがるように激しく泣いていた。

 会議が終わったのは正午少し前であった。かくして日本は、無条件降伏を受諾した。そして、同日の内に、即ち、昭和20年8月14日、連合国に対して受諾の申し入れを行った。

 そして、翌15日正午、天皇自らマイクの前に立って国民に呼びかける、いわゆる「玉音放送」が行われることになった。徹底抗戦を叫ぶ将兵にとって、この放送が行われたら万事休すである。玉音放送を阻止しようとする一部の将校は寒中深く侵入して録音盤の在りかを血眼で探しまわったが、ついに発見できなかった。反乱将校たちが機関銃をガチャガチャさせる音は天皇の耳にも届いたらしく、天皇は翌朝、藤田侍従長に言った。

「藤田、一体あの者たちは、どういうつもりであろう。この私の切ない気持ちが、どうしてあの者たちには、分からないのであろうか」

 

つづく