人生意気に感ず「中屋健一・米国史ゼミとケネディ。大統領への道。政治家の勇気とは」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「中屋健一・米国史ゼミとケネディ。大統領への道。政治家の勇気とは」

◇旺文社文庫の「ケネディ」を読んだ。古書店で私の目を引いたのは100円という定価だけではない。著者中屋健一である。懐かしい思い出が甦った。東大の駒場時代、私はこの先生の米国史のゼミに居た。希望者が多い人気のゼミで、10人位のメンバーの中には後に福井一区から衆議院議員になった松宮勲君もいた。先生が熱を入れてアメリカの発展を語った姿が思い出される。副題は「英知と勇気の大統領」である。ケネディの祖先はアイルランドから逃げるようにアメリカに渡った移民である。中屋先生は合衆国の最も偉大な大統領としてリンカーン、ルーズベルト、ケネディを語った。当時はケネディの偉大さを実感しなかったが政治家の経験を重ね混乱のアメリカと世界の対立の中でケネディの真の姿に注目するのである。

 今ケネディの歩みを切り取る時、まず注目するのは太平洋戦争で日本の駆逐艦に撃沈された出来事である。真珠湾攻撃で始まった太平洋戦争でケネディ少尉の魚雷艇が駆逐艦天霧に撃沈された時ケネディは26歳だった。天霧の艦長はケネディの艇が真二つに割れ炎に包まれるのを見て生存者はいないと見て去った。しかし、ケネディたち14名は生きていた。ケネディは生存者を励まし必死で泳いで全員が離れた島に泳ぎ着いた。海軍はケネディを表彰しハルゼー提督も感謝状に署名した。アメリカでは国家のために命を捨てて尽くすことは高く評価される。ケネディの戦功はその後大統領への道を歩む上で大きな基盤の一つになった。

 戦後ケネディは一時新聞記者を目指したが、やがてニュースを報道することよりニュースをつくる仕事に意義を感じ政治家を目指した。彼はチャンスをつかんで下院議員となる。29歳であった。議会を見学に来た大学生と間違われたと言われるケネディは勇気ある下院議員として着実な歩みを進める。一例を挙げれば住宅法案への対応。戦後住宅事情は深刻だった。政治家は大きな票を握る圧力団体に弱い。圧力団体は時に目先の利益で動く。圧力団体に反対するケネディに先輩議員は好意をもって指導しようとしたがケネディは信念を貫いた。選挙民は意外にも彼を支持したのである。ケネディは政治的勇気は目先の票ではないことを学んだのだ。

◇ケネディは上院議員になって「勇気ある人々」を書いた。この本で彼は8人の上院議員がどのようにして良心と責任を貫いたかを述べた。選挙民の感情と政治家の良心が対立する時の政治家のとるべき道である。私の経験からも頷けることが多い。(読者に感謝)