シベリア強制抑留 望郷の叫び 九十三 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

シベリア強制抑留 望郷の叫び 九十三

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。

 

 天皇は、政治に対して自分の意見は言わないのが慣例であった。このような、日本の運命を決定する重大事に関して、天皇が意見を述べ、それによって結論を出すというようなことは、まさに異例中の異例であった。

 天皇は大要、次のように発言した。

「本土結成というけれど、その準備はできていない。飛行機の増産も思うようにいってはいない。これでどうして戦争に勝つことができるか。忠勇なる軍隊の武装解除や戦争責任者の処罰等を考えると、それらの者は忠誠を尽くした人々なので、実に忍びがたい。しかし、今日は、忍びがたきを忍ばねばならぬ時だと思う。明治天皇の三国干渉の際の御心を偲び奉り、自分は涙をのんでポツダム宣言に賛成する」

 また、天皇は次のように発言した。「自分一身のことや、皇室のことなど心配しなくもよい」

 天皇の発言が終わると、人々の口から「う、うー」と堪えても抑えられない声がもれた。

 鈴木首相が静かに言った。

「会議は終わりました。ただ今の思召しを拝しまして、会議の結論とします」

 時に、十日午前二時二十分であった。鈴木首相は、さらに官邸に帰り、閣議を開き、ポツダム宣言受諾の案分を決定した。すでに、十日午前四時を過ぎていた。

 受諾文の要旨は、「天皇の国家統治の大権を変更しないということの諒解の下に、日本国政府は宣言を受託す」というもので、無条件の受諾ではなかったのである。

 これに対して八月十二日、連合国側の回答があった。

 その要点は、日本が求めた天皇の地位の安泰に関することであった。

 即ち、

・天皇および日本政府の国家統治の権限は、連合軍最高司令官の制限の下に置かれる。

・最終的な日本政府の形は、ポツダム宣言に従い、日本国民が自由に表明する意思によって決定される。

 

つづく