シベリア強制抑留 望郷の叫び 九十二 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

シベリア強制抑留 望郷の叫び 九十二

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。

 

 マリアナ諸島のテニヤン基地を飛び立ったB29エノラゲイ号は、八月六日早朝、日本に侵入し、やがて広島市上空に達した。八時十六分、目も眩む一瞬の閃光が走り、幾千度の火の玉は爆風とともに広がった。大木もチリのように飛ばされ、鋼鉄は溶かされ、数万の人々が焼き殺された。阿鼻叫喚、信じられぬこの世の地獄が出現したのである。

 米大統領トルーマンは、直ちに次のような声明を出した。

「六日、広島に投下した爆弾は、戦争に革命的変化を与えるもので、これは原子爆弾である。日本が降伏に応じないかぎり、さらに他の都市にも投下する」

 八日朝、天皇は、参内した東郷外相から惨状を聞いた後、次のように告げた。

「このような新しい兵器が使われるようになったからには、これ以上戦争を続けることはできない。有利な条件を得ようとして時期を逃してはならぬ。速やかに戦争を終結するよう努力せよ」

 そこで、九日朝から、最高戦争指導会議が開かれた。参事官にわたる激論の末、意見はまとまらず、その後第一回閣議を午後二時半から三時間、さらに第二回閣議を午後六時半から午後十時まで開いたが、ポツダム宣言を受諾すべきか否か、閣僚たちの意見もまとまらなかった。この間にも、日本の運命を左右する重大事が続いて起きていた。同日午前、長崎に二発目の原爆が投下され、同じくこの日、ソ連が怒涛のような満州に侵攻を開始したのである。

 どうしても意見がまとまらないので、夜十一時ごろ、鈴木首相は天皇に御前会議を願い出た。宮中の地下壕の一室で御前会議が開かれたのは、午後十一時五十分であった。

 天皇の前で、おもな人々が意見を述べる。

 東郷外相と米内海相は、ポツダム宣言受諾説を述べ、阿南陸相は宣言受諾に反対して本土決戦論を述べた。鈴木首相は、自分の意見は述べず、誠に恐れ多いことであるが聖断を拝して結論としたいと申し出た。

 

つづく