シベリア強制抑留 望郷の叫び 八十七
※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。
青柳さんたちの部屋は、両側に二段の寝台がつくられ、それにはワラ造りのマットと糖枕、三枚の毛布が置かれていた。初年兵としいての厳しい訓練が始まったが、このベッドだけが心と身体を休めることのできる唯一の憩いの場であった。
一月末より六月中旬まで、戦闘訓練と信号訓練でしぼられる。青柳さんは、必死で頑張って一等兵に昇進し、さらに精勤賞も得た。青柳さんの肩には星が一つ増え二つ星が輝いていた。これは、青柳さんにとって、不安に囲まれた苦しい軍隊生活の中での、浮き立つような喜びであった。
二 行き先は満州国だった
六月になると、訓練が進んだ隊から次々と、満州国へ移動していった。行き先は分かったが、なぜ満州国なのか青柳さんたちは、その目的を知らされていなかった。実は、ソ連の動きに備えるための作戦の一環だったのだ。そもそも、青柳さんたちが仙台に集められ、下関から朝鮮に運ばれた計画全体が対ソ戦略に基づくものであったと思われる。
参謀本部は南方を守るために満州の関東軍を大挙移動させていたがソ連参戦がいよいよ懸念される事態に対して、何とか手を打とうと苦慮していたのであった。
なお、連合国側の情勢といえば、昭和二十年二月、米英ソの巨頭はヤルタ会議を開き戦後の対日処理に関する秘密協定を結んだ。そして、スターリンはこの会議で対日参戦を正式に約束したのである。日本政府はもとよりソ連のこのような約束については知る由もなかったが、特に、前年末にスターリンが日本を侵略国と看做すと演説したこともあり、万一ソ連が日ソ中立条約を破って日本に参戦するようなことが起これば大変であると心配していた。しかし、ソ連は中立条約を厳守すると約束していた。日本を油断させておく戦略だったに違いない。
つづく