人生意気に感ず「マッカーサーの業績とその限界。原爆投下の恐怖は現実的だった」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「マッカーサーの業績とその限界。原爆投下の恐怖は現実的だった」

◇廃墟の日本を支配した伝説の司令官ダグラス・マッカーサーをふるさと未来塾では朝鮮戦争・復興特需の面で扱う。78年の節目にそれ以外の実像に触れたいという衝動に駆られる。

 直立不動の昭和天皇とマッカーサーが並び立つ写真は日本国民に衝撃を与えた。勝者と敗者という冷厳たる事実を思い知らされたのだ。歌人斎藤茂吉は日記に書いた「ウヌー、マッカーサーの野郎」。マッカーサーの命令は絶対だったので、私の子どもの頃は「マッカーサーの命令により」という表現が流行った。

 トルーマン大統領とマッカーサーとの不仲は有名であった。マッカーサーは、その戦功に於いて国民的人気があったがシビリアンコントロール(民主的統制)を軽視する点にこの人物の限界があった。朝鮮戦争は毛沢東の中共軍の参加により国連軍は行き詰まる。トルーマンは中ソとの全面対決は避けねばならないと信じていた。マッカーサーは中国全土に戦線を広げ、原爆を使っても中国をせん滅させる戦略を進めようとしていた。連合軍が窮地に立たされる中でマッカーサーは国の政策に反する言動を重ねた。この明白なシビリアンコントロール違反を前に、イギリスなどからトルーマンはマッカーサーをコントロールできないという懸念が広まった。トルーマンは遂にマッカーサーを解任するに至る。マッカーサーは1951年4月11日、トルーマンにより突然解任された。この解任がなくマッカーサーの暴走が続けば中国大陸で原爆が使われる可能性があったと思う。シビリアンコントロール無視による軍の暴走はかつての中国大陸に於ける日本陸軍の暴走を想起させる。

 最近よく民主主義は効率が悪い、いざという時に答えが出せない、専制主義が優れていると言われる。しかし歴史を長いスパンで見ればその優劣は明らかである。

 日本を離れる時、沿道には20万人の日本人が詰めかけた。新聞はマッカーサーに感謝する文を載せた。衆参両議院、都議会、日本経済団体連合会も感謝文を発表した。これらの事実はマッカーサーに対する単なる儀礼を超えて占領政策が優れていたことを物語るといえる。

 これは私の少年時代を振り返っても言えることだ。鬼畜米兵を恐れて赤城山の山奥の開墾地へ逃れた我が家だったが、奴隷とされることもなく日本は復興に向け逞しく歩みを続けることができた。現在戦後78年が過ぎ歴史の大きな節目に当たりマッカーサーの業績を考えることが日本の将来のためにも意義があると考える。(読者に感謝)