人生意気に感ず「友を裏切る酷い民主運動。スターリン大元師への感謝状を手に入れる」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「友を裏切る酷い民主運動。スターリン大元師への感謝状を手に入れる」

◇日本人は孤独に弱かった。耐える手段のひとつは歌であった。「異国の丘」はあらゆる収容所で歌われた。自立心の弱い日本人は虜囚となると権力、つまり収容所側の対策に抵抗できなかった。この時の時代背景が重要である。米ソの冷戦が深刻化し、日本はアメリカの最前線だった。収容所が捕虜を教育しようとするのは当然であった。教育効果の上がったものから帰されるという風潮が広がるのも当然である。これが塩原さんが最も日本人の心を苦しめたと語る「民主運動」が吹き荒れる背景であった。民主運動とは収容所側の教育政策のことである。天皇制を口にした者や元警察官だった者などが毎日大衆に取巻かれ、壇上に立たされ、吊し上げられ、やじられ、追及された。同調しなければ村八分にされ食事も行動も一緒にできない。日本人同志の異国での醜い闘いに本当に胸が痛んだと塩原さんは語った。

 収容所に同調する活動家は資本主義撲滅、マルクスレーニン主義万歳と絶叫した。日本人捕虜向けの新聞「日本新聞」も作られた。そこでは今こそ奮起して社会主義の先頭に立って働くべきだなどと書かれていた。

 人々は反動とみなされた者は帰国を遅らされると信じた。民主運動の成果を認めてもらって一国も速く帰国を実現しようと人々は心ならずも同胞を売り渡すことや友を裏切ることを行った。日曜日などによく吊し上げの集会が行われた。赤旗を振って労働歌を高唱する団体がいくつも現われる。一人の男が壇上に立たされる。男の目は怯えていた。活動家が叫ぶ。「この男は元満州国の警察だった。日本帝国主義の手先として人民を弾圧した。人民の敵なのです」。民衆は狂ったように呼応した。「絶対に許さないぞ」、「土下座して反省しろ」、「やっちまえ」。正に狂気の人民裁判であった。

 狂気の民主運動の一つの極致ともいえる出来事が「スターリン大元師への感謝状」に関する動きであった。日本の資本主義を強盗と糾弾し、スターリンを労働者の導きの星として歯が浮くようにゴマをすって称えた。多くの日本人は争うように感謝状に署名した。私はこの文書をハバロフスクの国立古文書館で幸運にも入手した。コピーには上層部の特別の許可を要した。

シベリアの旅では青柳由造さんが突然倒れ医師の世話になるというハプニングもあった。二人の元抑留者は万感の思いで帰国したが、その後波乱の人生の幕を閉じた。私は塩原さんへの弔辞でこのシベリア抑留のことを語った。棺に横たわる塩原さんの顔は何事もなかったように安らかだった。(読者に感謝)