人生意気に感ず「元抑留者はシベリアを語る。極限の飢えで人間は動物に。私は共に抑留所跡を訪ねた」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「元抑留者はシベリアを語る。極限の飢えで人間は動物に。私は共に抑留所跡を訪ねた」

◇終戦から78年が経った。ウクライナ戦は長く続いた平和を破壊し、私たち人類を再び大戦の恐怖の場に立たせている。戦争は人間を狂わせる。理性を失った独裁者プーチン氏の姿が死に神のように見える。私は今78年前のシベリアの悲劇を思い出す。

 昭和20年8月8日、ソ連は日本に宣戦を布告し、翌9日ソ連軍の戦車は轟音をとどろかせて満州になだれ込んだ。ここに満州に於ける一般民間人の地獄、そしてシベリアでの強制抑留が始まった。私はここで元抑留者の方と共に訪ねて知った強制抑留の実態の一端を記そうと思う。

 私は平成16年7月前橋市在住の元抑留者塩原さんと青柳さんと共に抑留地跡及び関連する施設等を巡った。夏草が繁る抑留地跡を訪ねた時のことである。「友よ、静かに眠れ」と書いた白い墓標の前で塩原眞資さんは突然大声で泣いた。「俺だけ帰って悪かった」と。青柳由造さんは一心に読経している。ハバロフスク市の郊外である。二人の姿から私は強制抑留の過酷さを想像した。アムール川が流れるハバロフスクは強制抑留の拠点で多くの日本人はここを通って広大な地域に点在する収容所に送られた。その夜老人たちは身を乗り出して過去を語った。ナホトカを離れ帰国船に乗るとき大地を蹴って「こんな所二度と来るものか」と思ったシベリアが、今なぜか無性に懐かしいと言う。初めての冬は零下40度にもなり多くの人が死んだ。およそ60万人の人が強制抑留され、そのうち6万人近くが飢えと寒さと重労働で死んだ。初めての冬が越せないで死んだ人が多かったという。二人はしみじみと語った。「人間は飢えると動物になってしまうんです。収容所では人間は皆裸になってしまうんです」。極限の飢えは残酷だったという。収容所では次に誰が死ぬのか分かるという。息を引き取ると同時に固く握られていたパンがポトリと落ちる。すると次の瞬間、どこからともなくサッと手が伸びてパンは消えるという。正に餓鬼の光景だろう。

「シラミも酷かったな」、「衛生が悪くて大発生した。毛布を零下45度の外に出すとシラミは死んでポロポロ落ちるが、またそれにくるまって寝るとシラミだらけになって・・・」。二人は苦笑して振り返った。物資が極端にない状況であった。死体からは全てが剥ぎ取られ死体置き場は裸の死体が天上に届くほどに積み上げられた。「その他一番辛かったことは」私の問いに塩原さんは意外なことを語り出した。明日に続く。(読者に感謝)