シベリア強制抑留 望郷の叫び 八十六 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

シベリア強制抑留 望郷の叫び 八十六

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。

 

 汽車は、兵士専用ではなく民間人も乗り合わせていた。車中で「さくら」というタバコが一箱ずつ配られた。日本では、タバコを買うために列をつくって並び、一箱の本数は五本が十本であったが、「さくら」は二十本入りである。タバコは朝鮮でも不足しているらしい。兵士が捨てる吸い残しの短い部分を朝鮮の老人が争うようにして拾い、うまそうに大事に吹かしている。汽車の中の人々は、日本の兵士を恐れるような目で見ていた。それを見て青柳さんの心に日本兵士であることを誇りに思う気持ちがちらと動く。窓ガラスに肩の一つ星が光っている。しかし、別の思いがすぐにそれを打ち消してしまった。兵隊になったとはいえ、形だけではないか。戦う訓練はほとんど何も受けていないのだ。これで、敵と遭遇したらどう戦ったらよいのか。ゴットンゴットンと、汽車は青柳さんの不安を増幅させるように闇の中へ突き進んでいった。

 やがて羅南駅に着く。外は、20~30センチの雪が積もっていた。朝鮮も今年は大雪なのかと思った。やけに寒い。零下20度くらいになっているのか、他の兵士も寒い寒いと言っている。

 広い兵舎に、兵士は少なかった。青柳さんが配属された所も、一つ星の古参兵らしい人たち、それも目が悪いとか足が傷ついているとか、どう見ても戦えそうもない兵士が暗く元気のない表情で衛内を動いていた。間もなく分かったことだが、これらの兵士は青柳さんたちより一~二ヶ月前に入隊した人たちで、一緒にここに入った仲間は、皆、最近南方へ回されていったのだという。じぶんたちも南方へ行くのか。事態の悪化は予想以上のものらしい。青柳さんの胸に黒い不安の影がまた色濃く広がっていった。

 故郷を出てから二週間が経っていたが、この間洗濯はほとんどできなかった。肌着やフンドシにモソモソしているものがある。たくさんのシラミだった。風呂場で煮沸してもなかなか死なない。外に出して凍結させても死なないので始末が悪い。青柳さんは、このしぶとい生き物にこの後、抑留生活の中で苦しめられることになるのだが、早くも対決が始まったのであった。

 

つづく