シベリア強制抑留 望郷の叫び 七十八 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

シベリア強制抑留 望郷の叫び 七十八

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。

 下ろされたところはナホトカであった。故国日本につながる朝の海が、青く静かに遠くまで広がっている。塩原さんは懐かしい潮風を両手を天にあげ胸いっぱいに吸い込んだ。母なる海が、長い間ご苦労さんといたわっているようであった。折しも水平線に太陽が昇り始めた。あの太陽の下に日本がある。遂に帰国の時がきた。

 塩原さんは万感胸に迫って声を上げて泣いた。

 帰国船に乗るまでしばらく港の作業をさせられることになった。それは、大きな貨物船に岩塩を積み込む仕事であった。宿舎は、鉄条網もなく見張りのソ連兵の態度も穏やかであった。

 昭和25年2月の初め、遂に帰国の日がきた。港の中央に赤十字のマークをつけた純白の高砂丸が停泊している。日本人の目は船上に翻る日の丸の旗に釘付けになった。久しぶりに見る日の丸。この旗の下で命をかけた日々が蘇る。この旗は、今は、命を捨てろではなく、迎えに来たぞと呼びかけている。国家というものがこれほど頼もしく思えたことはなかった。塩原さんは泣いた。夢ではないかと思って大地を踏んだ。今や、目前の船に無事乗船できることを祈った。ソ連の官憲が乗船名簿をもってチェックしている。欺されて満州からシベリアに連行され、以来、幾度となく嘘と策略で翻弄されてきた。また何かの理由で収容所へ連れ戻されるかもしれない。現にそのような例を耳にしていた。塩原さんは乗船の審査を受ける人々の列の中にあって、死刑の宣告を恐れる被告人のように身を硬くしながら自分の番を待った。一秒一秒が長く感じられる。駆け上がりたいと逸る心を迎えてゆっくりと歩く。後ろから、おい待てと声がかかることを恐れながら、遂に船上に立った。白衣に身を包んだ看護師が数名整列して待ち受けている。久しぶりに見る日本人女性だった。ああ、これが日本だ。塩原さんは、黒髪と黒い瞳を見ながら心の中で叫んだ。女性たちは、深々と頭を下げて、言った。

「長い間、本当にご苦労さまでした」

 忘れもしない、優しい日本の女の声なのだ。長い間の苦しみも一気に忘れ、塩原さんは感極まって泣いていた。

つづく