人生意気に感ず「厚生省の高官は国の隔離政策を批判し恩師小笠原を熱く語る。小笠原の骨は患者の骨と共 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「厚生省の高官は国の隔離政策を批判し恩師小笠原を熱く語る。小笠原の骨は患者の骨と共

◇国賠訴訟は訴訟史に残るといえる一大ドラマであった。原告側証人にはハンセンの元患者たちの衝撃の証言が次々と飛び出した。鬼気迫る「悪魔の牢獄」重監房のことも証言として改めて語られた。

 私は原告側証人大谷藤郎氏の証言状況を語った。会場の人々は特効薬プロミンのこと、特に大谷氏が語る小笠原登のことに身を乗り出すようにして興味を示した。大谷藤郎は厚生省の元高官で隔離政策の責任者を務めた人であった。元国の高官が国を征める原告側の証人になったのは恩師小笠原への熱い思いの故である。大谷はかつて京都帝大医学部で小笠原の教えを受けた人である。大谷は尋問に答えて言った。「私の原点ともいうべき恩師小笠原登氏は国賊と批判されながらも御自身の信念を貫かれました。私としても恩師にならってできる限りのことをしたいと考えました」

 大谷はここで小笠原のエピソードを語った。「先生は寺で生まれ祖父の影響を強く受けました。祖父は浄土真宗の坊さんでしたがハンセン病の専門家でハンセンの患者が寺の庭で生活するのを許しました。祖父はハンセンの患者を人間として丁寧に扱ったそうです。先生はそれを見てハンセン病はうつらない、治る病気だと子ども心に確信したそうです。先生はこの原体験を生涯貫かれました。それが京大病院の外来診療の基礎となりました。一般の医師は感染を恐れ宇宙服から目がのぞくだけのような服を着て患者には絶対に触れませんでしたが先生は丁寧に身体のすみずみまで触診されました。

 私は、大谷の証言とは別に次のことを語った。小笠原はある時学会で袋叩きになった。国の隔離政策に強く反対し上記のような診療を貫いたからだ。小笠原は屈しなかった。学会代表は京都帝大に小笠原の処分を迫ったが京大はこれを拒否したのである。京都帝大伝統の反権力の姿勢が窺えるのだ。尋問は特効薬プロミンに及んだ。大谷は答える。「効果は大変素晴らしいものでありました。プロミンの効果が明らかになったにもかかわらず隔離政策を改めなかった国の誤りでありました」。大谷の証言は被告に大きな打撃を与えた。

◇最後に私は小笠原登の墓を語った。愛知県の圓周寺を訪ねたのだ。住職の奥さんは「登さんの骨は遺言によりこの中に眠っています」と話した。それは南無阿弥陀仏と描かれた無縁墓地である。それは「死の後もハンセンの人たちと共に」という小笠原の意志を示していた。私はこの人の反骨の生涯が本物であることに衝撃を受けた。(読者に感謝)