シベリア強制抑留 望郷の叫び 七十三 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

シベリア強制抑留 望郷の叫び 七十三

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。

 

 民主運動が播いた種は後にいろいろな問題を引き起こすことになるが、この民主運動の総仕上げともいうべき、最も象徴的な出来事が「スターリン大元師への感謝文署名運動」である。

 私は、塩原さんたちとハバロフスク国立公文書館を訪ねた際、特別の計らいでこの文書のコピーを入手した。その中身は一見して驚くべきものであった。詳細は別項で触れるが、収容所の扱いは至れり尽くせりで夢のようであること、自分たちを目覚めさせてくれたスターリン大元師に対して感謝の気持ちでいっぱいであること、そして、帰国後は、日本共産党に協力して命をかけて資本主義と闘うことを誓う等々である。

 この文書には6万名を超える日本人が署名した。この文書を読むと、ここまで卑屈になったかということと、それほどに帰国したかったのかという複雑な感情を抱かざるを得ない。

 

八 美しいロシア娘に出会う。そしてついにダモイ(帰国)の時が

 

 昭和24年、塩原眞資さんは、入ソ以来4年目の春を迎えていた。厳しい冬が去って、万物が生命を回復したように野山は緑にあふれ、水は光り、鳥たちはさえずっていた。しかし、収容所の日本人は一段と生気を失っているように見えた。誰の目にも苛立ちと絶望感が表れている。他の地区の多くの日本人が帰国したという話が伝わる中で、ハバロフスクの収容所だけが取残されているようである。やはり、この収容所は重大な戦犯やそれに準ずる者が集められているので、永久に帰国は許されないのかもしれない。そう思うと人々の不安は、ますます大きくなるのだった。目がくぼみ、骨と皮だけの人々は、心の力も失って、日ごとに豊かさを増す春の恵みも、ただ惨めさを募らせる存在に過ぎなかった。

 

つづく