人生意気に感ず「先生に前科はと問う人。若き日の悔恨。硬骨のH君。楫取素彦を語る」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「先生に前科はと問う人。若き日の悔恨。硬骨のH君。楫取素彦を語る」

◇「先生は前科があるんかい」「えー、ないよ。なぜ」。朝の走りの途中、こんな会話をした。建築資材工場の現場でよく言葉を交わす小父さんである。私の著書「生まれ いき そして未来へ」で書いた出来事を読んだのだ。前高の定時制時代、O君を殴り傷害を負わせたのだ。おじさんは「不起訴になったんかい」と更に追及した。60年余の時を遡って懐かしい青春のひとコマが甦った。

 当時の前高定時制の一年生のクラスは荒れていた。音楽鑑賞の時間、親友のH君は騒がしいグループに「静かにしろ」と注意した。H君は中学時代生徒会長をした程で成績優秀であった。定時制に入ってから彼の姿勢は周りの目には傲岸不遜に映った。彼は決して俺はお前たちとは違うという考えを持っていなかった。しかし彼の定規で引いたような性格は周りからは尊大に見えた。これがこの事件の背景であった。

 O君は鑑賞会から教室に戻ってH君を殴った。H君の眼鏡は割れて落ちた。H君は抵抗しなかったのだ。気付いた時、私はO君の顔面に強烈なパンチを与えていた。私は当時の野村吉之助校長に始末書を提出した。O君は私を許したのである。しかし事態は解決しなかった。「中村は許せない」ということで喧嘩のプロとも言うべき男が動いた。この男はS君といって現在の大手町に住居した人物だ。彼は裸電球が灯る駐車場で私を待ち構えていた。私はボコボコに殴られ顔は惨めにふくれた。翌日、私は敢えて教室に出た。S君は休学して一学年下に入った。H君と私の絆は深まった。彼は前高定時制を卒業後東京に出てどこかの大学の夜間に入った。私は東大に進学後、彼のアパートを訪ねたことがある。安アパートで酷い生活を続けていたのだ。狭い一角をカーテンで仕切ったスペースで勉強していた状況が目に浮かぶ。彼は厚労省に進みかなりの地位に進んだと思われる。彼との絆は健在であるが、最近は電話をしても通じない。80半ばを過ぎ、熱い生命の炎を燃焼し尽くしたであろうか。定時制の同窓生も皆老いた。人生のドラマはそれぞれの所で燃え尽きようとしている。私は82歳で毎日走れることを幸せに思う。

◇今日は総社町の公民館で「楫取素彦」の講演を行う。話は萩市の楫取の生地樽屋町から始まり、時代背景を語る。江戸に出て同郷の吉田松陰と知り合う。黒船が開港を迫った。松陰はアメリカを見たくて黒船に乗り込み失敗する。時代は変わり、楫取は難治の県群馬へ向う。(読者に感謝)