シベリア強制抑留 望郷の叫び 六十六 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

シベリア強制抑留 望郷の叫び 六十六

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載しています。 

 

 塩原さんは語る。

〈天皇制を口にした者や元警察官だった者などが、毎日大衆にとり巻かれ、高い壇上に立たされ、吊し上げられ、やじられ、追及されるのです。これに同調しなければ無気力者となじられ、村八分にされ、食事も行動も一緒にできないのです。日本人同士の異国での、醜い闘いには本当に胸が痛みました〉

「民主運動」という言葉が使われるが、それは、今日の私たちが一般に理解するものとは違う。共産主義のソ連が日本人抑留者に共産主義の思想を植え付けようとして指導したソ連の立場からの運動であることを断った上で、以下ではこの言葉を使うことにする。

 塩原さんの入ソ以来3年あまりが過ぎていた。もっと長い人は多くいた。帰国が遠のくことへの不安と苛立ちが増すのに比例するように民主運動が日々高まってゆく。

〈毎日動労歌がうたわれ、赤旗が振られます。アクチーヴは壇上で演説をぶち、戦争反対、資本主義撲滅、マスクス・レーニン主義万歳と絶叫するのです。日本人捕虜向けの新聞もつくられ日本のことが載せられました。それには、日本の現状はひどい、今、帰っても地獄に行くようなものだ、今こそ奮起して社会主義の先頭に立って働くべきだ、などと書かれていました〉

 塩原さんの話にあるアクチーブとは、民主運動の中心となる活動家のことで、捕虜仲間から選ばれ、ソ連の教育機関で一定の期間、教育された人たちである。新聞とは、民主運動の有力な手段として、抑留者を啓蒙する目的で発行される「日本新聞」のことである。

 

つづく