人生意気に感ず「萩市の出来事・その2 松陰先生の言葉をもとに強く行きたいです」
◇まず、萩市椿東校長へ小学校・内田重美氏(当時)からの礼状の要点を紹介したい。「先日は、5・6年生への楫取素彦や吉田松陰先生への御講話、誠にありがとうございました」と述べる。先生も生徒も必ず「松陰先生」と表現することは松陰の姿が時を超えて人々の胸に生きていることを窺わせる。「本校は至誠を教訓として真心を以て物事に当たる子どもたちを育てることに全力を注いできましたが、今回のお話で誠をもって物事にあたることの大切さを改めて教えて頂きました。子どもだけでなく私たち教職員もそのことを胸に刻みながら、志を持って自らの歩むべき道を進んでいける子どもを育てていきたいという思いを新たに致しました」
多くの感想文から一部を、そしてその要点を紹介する。次は椿東小学校5年の梅本さんの文である。「富岡製糸場という所はよく知りませんでしたが楫取さんが守ったから国の宝になりました」。「吉田松陰先生、文さん、寿さんのことをもっと知りたくなりました。楫取さんも大事にした至誠という言葉を大事にしていきたいと思いました。それに楫取素彦というすごい人がこんな近くにいたなんてびっくりしました」
◇次は明倫小の末永里美さんの文である。「楫取素彦は萩ではあまり知られていないが群馬県の風船をふくらませた人だったと思いました。そんな人を生んだ萩に住んでいて誇らしく感じました。今の日本は風船のようにしぼんでいるとおっしゃっていました。だから今の日本を楫取素彦さんにならって私たちでふくらませていきたいと思いました」
私は子どもたちの興味を引くために風船を例にあげた。しぼんだ風船のようだと。楫取はそれに息を吹き込み力を与えたと話したがこれが意外に注目され他の何人かが風船に触れていたのにはいささか驚かされた。もう一人登場させるのは椿東小5年の原依央莉さんである。
「楫取素彦さんは松陰先生の妹寿さんと結婚しました。そして松陰先生は死ぬ前に楫取素彦さんに松下村塾をあずけました。それで、松陰先生は楫取素彦さんへの信頼が強かったことが分かりました。ここで学んだことは今後に生かしていきたいと思いました。それは“至誠にして動かざる者は未だこれあらざるなり”という言葉をもとに強い意志を持ちがんばることです」
あれから長い年月が経つ。子どもたちの心の芽はどのように成長したであろうか。(読者に感謝)