人生意気に感ず「目覚めの立ち上がる楫取顕彰会。新大関霧島にチンギスハンを重ねる。藤井名人の不思議 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「目覚めの立ち上がる楫取顕彰会。新大関霧島にチンギスハンを重ねる。藤井名人の不思議

◇休眠状態だった楫取素彦顕彰会が目覚めて立ち上がることになった。私は会長として挨拶した。「コロナ禍をはじめとした諸事情のため顕彰会の活動が長いこと休止状態にありました。混乱の激しい今日、初代県令をしっかり見詰めることは非常に重要です。新しいメンバーにも役員として御参加頂き再出発することになりました」。

 会長、副会長、事務局長は従来のままで、複数の顧問と理事等の構成である。秋頃総会を開くことにし、それまでに顕彰会の歩みを冊子にして世間にアピールすることも決まった。

 顧問の一人は清光寺の住職でこの寺は吉田松陰の妹寿が浄土真宗の西本願寺に働きかけ、その説教所として設けられたのが起源である。

 私はいくつもの課題を抱えているが顕彰会のことは市の職員とのトラブルもからみ常に心の負担になっていた。今後は、この問題を支える事務員も整ったので一歩一歩着実に前進できる。

 ちなみに楫取を描いた2冊の書は楫取素彦を世に示す存在として健全なのだ。一つは「楫取素彦読本」で第13刷を重ね今でも細々ながら売られている。もう一つは「楫取素彦・吉田松陰が夢をたくした男」で九州の出版社書肆侃侃房から出したもので幾つものコラム欄だけでも面白く読めるよう工夫が凝らしてある。

◇新大関霧島の誕生に胸を熱くした。大関昇進と共に、しこ名が霧馬山から霧島となった。鋼鉄のような肉体を連日のように見たがそれを育てた要素にモンゴルの大平原、遊牧民の世界があった。私はかつて世界を制覇したチンギスハンを重ねる。18歳で来日、陸奥部屋に入門、言葉が通じない異国での孤独は大変だったらしい。夜は布団にもぐって耐え何度も帰ろうと思ったという。モンゴルの大草原を離れ、息が詰まるような東京に閉じ込められたことも孤独を深刻なものにしたに違いない。大関を手にした霧島の笑顔に孤独の陰はない。27歳の心は故郷の大平原を走っていることだろう。

◇最年少名人の出現に日本中が沸き立っている。いかにも柔和そうな藤井棋士の内面に信じ難いパワーが潜むことが不思議である。藤井少年の快進撃の軌跡が将棋界を一変させた。多くの将棋教室には申込みが殺到し、自分では指さない「観るファン」が増えている。私もその一人だ。驚くのは人形のような表情からは想像できない絶えない研究と努力の塊だということ。人間の脳の神秘性を思う。(読者に感謝)