人生意気に感ず「死刑制度を考えるとき。誤判は不可避で日本国憲法が泣いている」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「死刑制度を考えるとき。誤判は不可避で日本国憲法が泣いている」

◇死刑制度の存続は時代錯誤だと思う。国民の8割が支持していると言われるが感情論だと思われる。執行の問題点と実態を知れば国民の多くは否定的に答えるに違いない。ブログ等で折に触れて書いてきたが憲法改正が話題になっている時、改めて発信したい。死刑を合憲とした大法廷判決が出たのは昭和23年で、前年に私は小学校に入学した。事件は母と妹を打ち殺し古井戸に投げ込んだというもの。世論は「許せない」という感情で沸き立った。時代錯誤と思うのは、あれから75年を経て人権意識や科学的捜査の進歩など状況は大きく変化したからだ。憲法では13条(人権と公共の福祉)、31条(法律の手続)、36条(残虐な刑)が問題となる。

 判決は公共の福祉のためなら手続きを踏んで生命をも奪うことが出来、死刑は現行の絞首は残虐ではないと理路整然と述べる。しかし魂のない机上の論理に思える。死刑の恐怖は執行の瞬間だけではない。いつ自分のドアの外で監守の靴音が止まるかを死刑囚は息を殺して待つという。この、時の経過も含めて残虐性は考えねばならない。元死刑囚の袴田さんは死刑判決確定後精神に異常を来たしたが、これは死刑囚一般に通じる現象で死刑が心を殺す刑と言われるゆえんである。死刑制度の最大の問題は冤罪の関係である。誤判により執行されたら取り返しがつかない。誤判は必ずあると言わねばならない。現在は精緻なDNA鑑定も可能になり残された遺品の鑑定により執行後の誤判も分かるようになった。前記の大法廷判決で、4人の裁判官は将来社会の変化により死刑が否定されることもあることを述べた。社会の変化には大変なものである。世界で死刑廃止の流れが加速したことも大法廷判決後の変化である。G7の中で死刑存置は日本のみである。

 執行には法務大臣の命令がいる。法が定める義務と考えて複数人に著名する大臣の心中が知りたい。制度に対する深い理解に欠けるのではないか。

 日弁連は死刑に代わる終身拘禁刑を提言している。現行法では死刑とそれに次ぐ無期懲役との間に差があり過ぎるからだ。無期なら10数年後に釈放もあり得る。無期では世論が許さないと考えて死刑にするのは人の命をいかにも粗末にするもの。昔、本郷の向ヶ岡寮の町内に死刑廃止論で有名な団藤重光さんがいた。後に最高裁判事として死刑判決に関わったとき傍聴席から「人殺し」と叫ぶ声があり、それが耳について離れないと何かに書いておられた。国家による「人殺し」を早急に改める時が来ている。生命尊重の日本国憲法が泣いているに違いない。(読者に感謝)