人生意気に感ず「田中正造の講演会。今の政治家に爪のあかを飲ませたい」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「田中正造の講演会。今の政治家に爪のあかを飲ませたい」

◇予断は許さないとはいえ、コロナのトンネルは抜けた。そしてにわかに眠っていたスケジュールが復活し忙しくなった。コロナ禍の中でもいくつかは続けていたが停止になっていた会議や講演が動き出したのだ。5月は大小含め毎週のように講演の計画がある。中でも重要なのが「田中正造」である。約1年間毎日新聞(群馬版)に連載し注目された。5月13日、田中正造記念館主催で「甦える田中正造・公害運動の元祖」と題して館林市文化ホールで行われる。連載の題名は「甦える田中正造・死の川に抗して」である。死の川とは鉱毒で死滅させられた渡良瀬川である。「甦える」には政治家田中の実像を政治不信が渦巻く現代社会に登場させ今日の政治家と比較させ同時にその現代的課題を問いたいという私の思い入れがあった。

 田中は怪異な風貌でよく絶叫することから変人とか狂人と見られることがあった。しかし周りばかりを気にする普通の政治家と違って田中の姿には信念に忠実な真実があった。狂は真の極致なのだ。帝国議会に於ける田中の発言は明治の言論界で高く評価されていたのである。反権力の社会主義者幸徳秋水が直訴文の執筆を引き受けたことはそれを物語る。田中は帝国憲法の中に進歩性を認め知行合一を実践した政治家であった。議員を辞し死を覚悟して断行した直訴は世間に衝撃を与えた。万都の新聞は号外を出し人々は争って読んだ。清新の気風を求める若者たちは動かされ大挙して鉱毒の現状を察した。

 私は直訴の状況を胸を震わせてかいたことを今懐かしく思い返している。講演では荒畑寒村の「谷中村滅亡史」にも触れるつもりだ。これは20歳の寒村が時の行政に憤慨して一気呵成に書いたもので、時を超えて若者の熱血が伝わってくる。寒村は直訴の場面を高ぶる気持ちで書く。「お願いがあります」と叫んで飛び出す田中に警護隊長が馬上から長刃を振り下ろす場面だ。「紫電飛び白刃閃きて兵馬動く・・・」。寒村は「滅亡史」の最後に谷中村を滅した権力を村民の血で復讐すべしと書き、発行と同時に発売禁止となった。寒村は後に「私は意気軒昂だった」と振り返っている。寒村にはこんなエピソードがある。90歳の夏、本場のアルプスが見たい一心で周囲の反対を押し切って実行し歌を詠んだ。「名にしおうユングフラウの立ち姿我が初恋の人に似たりし」。永遠の若さが伝わってくる。私はサミュエルウルマンの詩を思い出す。「人は理想を失う時に老いる。人は信念と共に若く、希望ある限り若い」のだ。(読者に感謝)