人生意気に感ず「太平洋戦時下の強制連行の驚くべき実態。松代大本営の建設。岸田首相のウクライナ訪問 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「太平洋戦時下の強制連行の驚くべき実態。松代大本営の建設。岸田首相のウクライナ訪問

◇日韓併合(1910年)の後、日中戦争(1937年)の泥沼の中で遂に太平洋戦争に突入した。この戦争の中で、朝鮮人は日本国民として徴兵され、あるいは労働力として酷使された。徴用工の問題はここに登場した。徴用工は強制的に連行され日本の炭坑や土木作業現場で強制的に働かされた。その数は一説には百万人を超えるとされる。元徴用工の証言がある。「子どものアメを買うために歩いていたら突然日本人巡査に乗れと言われトラックに押し込まれ、日本へ行く国家のために尽くしてこいと言われ、福岡県の炭坑へ送られました」

◇強制連行先の作業現場として長野市の松代町がある。「幻の大本営」建設現場である。私はかつて実際にトンネル内に入って慄然とした思い出があるので塾ではそれを語った。

 戦局が悪化していた昭和14年、日本は本土決戦を覚悟していた。沖縄の惨状を経験した日本は本土決戦の時大本営や皇居を守るにはどうするか真剣に考えた筈である。そこで得た結論が長野松代への移転だった。突貫工事は西松組と鹿島組が請け負った。労働者は強制連行された朝鮮人がほとんど。延べ600万人が突貫工事で働き敗戦の8月には計画された13キロの約80%が完成していた。岩盤を縦横に切って不気味なトンネルは闇の中を伸びている。裸電球が冷たい岩盤を照らしている。その先のどこかに天皇の仮皇居があるのだろうか。皇居や大本営の要所は特に秘密が重視されたに違いない。そういう場所の一画が完成すると朝鮮人労働者を殺したという証言がある。19909年11月、このトンネル内で慰霊祭が行われた。全く無駄な企画であった。

◇この日のふるさと塾の締めくくりに岸田首相のウクライナ潜行を話した。セキュリティと秘密保持が最大の課題だった。まるでスパイ映画のような事実が後に明らかになった。実際に行われたインド訪問がカモフラージュとして利用された。雷雨の夜、インドのホテルから一行は密かに抜け出す。裏口からバスで空港へ。チャーターしておいた飛行機でポーランドへ向ったのだ。外務省が綿密に計画した。グッドタイミングなことに習主席のプーチン氏訪問に重なった。この企画の成功に自由主義諸国は拍手した。G7の国でウクライナを訪問しないのは日本のみだった。私は5月のG7広島会議で日本は議長国としてどのような成果を示せるかに注目すると語った。(読者に感謝)