人生意気に感ず「団子を卸しながら定時制へ、東大受験を勧めた先生。傷害事件を起こす」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「団子を卸しながら定時制へ、東大受験を勧めた先生。傷害事件を起こす」

◇百十時間を越えて瓦礫の下から救出された赤ちゃんの逞しい生命力に感動し、同時に我が82歳の人生を振り返った。人生は長いようで短い。私はいくつかの人生の舞台を経験したがそのいずれもが中国の故事邯鄲の夢を想起させる。

 第一幕は赤城の奥地の開拓の生活から元総社の悲惨な生活を経て前高定時制卒業までだ。現JR元総社支所前の牛池川の掘立小屋は私のプライドを砕き多感な少年期に暗い影を落とした。父は煎餅を製造し、私は街の小売店に卸して歩く仕事をしながら将来のことを考えた。社会の最底辺から一条の灯を見つけた思いで進んだのが前高の定時制であった。ここで私は生涯の友人となる人々及び私の人生に大きな影響を与えた師と出会った。妙見猛先生は私に東大受験を勧めてくれ、国語の大館先生は君は何かを書き続けた方がいいと励まして下さった。妙見先制は先年中央の大学教授として世を去られたが、大館先生はご健在で時々メールの交換をしている。私が現在文筆活動を続けていられるのはこの先生のお陰である。

 この掘立小屋にもある懐かしい思い出がある。毎年正月に宮城村時代の友人の芝基紘君が泊りに来た。こたつの回りに放射状に寝て一夜を過ごす。末弟の秀雄は彼のことをお正月さんと呼んでいた。我が家はその後総社町総社に移り、ここで煎餅屋から団子屋になった。煎餅と団子は製造工程の途中までは同じであるが、乾かして焼く過程を省いて丸めるだけの団子の方が簡単である。またこちらの方が良く売れるので我が家は幾分生活が楽になった。私はこの地から定時制に通った。自転車のペダルを踏みながら英語の単語を覚える姿は当時注目を集めていたらしい。先日、大屋敷の90歳を超える女性から突然電話があり、昔の私の姿を語られたのには驚いた。私は毎日このSさんの前を通り、時々自転車を止めて手帳を確認しているらしかったという。前高の定時制の校舎は現在の生涯学習センターの所にあった。当時は貧しい時代で、夜間高校全盛期で様々な人物が集まっていた。一年生の時、私は義憤と一時の激情から傷害事件を起こした。当時の校長は野村さんであった。このいきさつは近著「生まれ いき そして未来へ」に描かれている。東大受験は山谷のドヤ街の簡易旅館から臨んだ。コンクリートがむき出しの風呂に入り畳一枚の蚕の棚のようなベッドに寝た。人生の第二幕は別世界たる学問の砦で様々な出会いが待ち受けていた。時々続きを書くことにする。(読者に感謝)