シベリア強制抑留 望郷の叫び 三十四 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

シベリア強制抑留 望郷の叫び 三十四

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載します。

 

 腹の中から絞り出すように塩原さんは叫んでいた。塩原さんの脳裏には、かつてこのハバロフスクで飢えと寒さに耐えられず、バタバタと倒れていった仲間の姿が蘇っているに違いない。

 厳粛な気持ちにひたっていると、今度はパタポアさんが口を開いた。

「去年の一月、小泉首相がここに来ました。小泉さんはこの慰霊碑の前でコートを脱いで跪いたのです。まわりに居た多くの人がそれを見てワーッと声を上げました。その時の気温は、零下35度でした。小泉さんは、花を捧げて大地に手をついて、五分くらい祈っていました。その姿を見て、ロシアの人も涙を流しました。そして、私たちは、抑留者の問題が日本人にとって、いかに重大かということが分かった気がいたしました」

 小泉首相は祈りが終わると立ち上がって、パタポアさんに近づき握手したという。それにしても、この平和慰霊公苑ができたのは、平成7年のことである。半世紀も経ってやっと慰霊碑がつくられたということは、死者の霊を祭ることさえも国際情勢と日ロの関係に大きく振り回されることを物語る。シベリアの凍土の下で、日本人抑留者の遺骨が砕けて消えてゆくように、多くの日本人の頭からもシベリア抑留の事実が消えようとしている。二十一世紀の今、私たちの胸にこの事件を新しく蘇らせることの大切さを、この慰霊碑は訴えている。

つづく