人生意気に感ず「日中友好新年会の孔大使の発言。お父さんの位牌を取りに走った老婆」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「日中友好新年会の孔大使の発言。お父さんの位牌を取りに走った老婆」

◇1月30日、毎日新聞本社とその直ぐ近くの如水会館を訪ねた。日本で最も歴史が古い毎日新聞を訪ねるのは初めて。最近私は毎日新聞の群馬県版で約1年田中正造の生涯、「死の川に抗して」を連載した。当時の前橋支局長の加藤氏は現在本社の総務部長をされておられる。前橋時代を懐かしく振り返りながら私は新しい企画につき相談した。如水会館は毎日本社と目と鼻の間。如水会館一階正面には渋沢栄一の胸像がある。足尾鉱毒事件では悪の権化の如く描かれる古河市兵衛であるが、実は渋沢栄一とは深い信頼の絆で結ばれていた。そんなことを思いながら渋沢翁の表情を私は改めて見つめた。

 如水会館での目的は「日中友好新年会」。2階の広間には大きな横断幕に「祝日中平和友好条約45周年」と書かれている。私は日中間にただならぬ緊張が張り詰める中で孔駐日大使が何を語るかに注目した。

 次のような孔大使の苦汁を窺わせる言葉が私の耳に突き刺さった。「寒風と烈風の中でも、主権と領土の不可侵という条約の核心部分は少しも変化しないのです」、「民間の役割により未来が決まる。民間が官を支えリードするのです」

 私は来月9日の群日中の前座の光景かと思いながら壇上の挨拶に聞き入っていた。

◇私はこの日、東京駅までのタクシーの中で耳よりな話を聞いた。運転手さんは気さくそうな人で会話の中で自分のことを語った。この人は福島県で小さな事業をやっていたが津波で全てを失い東京に出て来てタクシードライバーを始めたという。この人の友人の体験が衝撃的なのだ。友人は年老いた母の手を引いて迫る津波から逃れようとしていた。その母が立ち止まってお父さんの位牌を忘れてきたから取ってくると言い出したという。止める息子の手を必死で凄い力で振り切って走って行った。老婆はそのまま帰って来なかったという。愚かなと思うが位牌には亡き夫との人生のドラマが刻まれていたに違いない。位牌を抱きしめ激浪と共に夫の元に辿り着いたのであろうか。話を聞きながら亡き夫との間に様々なドラマがあったに違いないと思った。私は宮城県の大川小と岩手県の船越小のことを話した。大川小はほぼ全滅なのに船越小では校務員の必死の勧めで裏山を登った為に全員が助かったのだ。現場における咄嗟の判断と決断が運命を分ける。首都直下型や南海トラフ型の巨大災害がすぐそこに迫っている。東日本大震災の教訓を最大限に活かさねば波に呑まれた多くの人は浮かばれない。(読者に感謝)