人生意気に感ず「ガーシーは衆愚政治の象徴。国会の試練は国民の視線」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「ガーシーは衆愚政治の象徴。国会の試練は国民の視線」

◇国会開会を前にして憤りを覚えるのはガーシー議員の存在である。国会とは何かという問題であるが同時にこういう人物を当選させる国民の本質は何か、そして民主主義とはそもそも何なのかが問われているのだ。国会は国権の最高機関である。この国会と主権者たる国民を繋ぐ選挙という制度が民主主義の基盤を成す。現在民主主義は駄目かという嘆きの声があがっている。民主主義と言われるものの実態は衆愚政治ではないか。優れた独裁者がリードする専制主義の方が国難の時代の実際に合っているのではないかという声が上がっている。民主主義は正に危機に瀕しておりその真価が問われ、また厳しい試練に晒されている。

 ガーシー議員は当選後一度も国会に登院していない。これは国会を侮辱するものであり、何かを期待して投票した有権者を裏切るものだ。この人物は犯罪行為にも関わり警察の捜査の手が伸びている。国会ではようやく懲罰に向けて動く気配があるが遅きに失すると言わざるを得ない。ことは小さいようで実は大きいのだ。民主主義の根幹に白アリが巣を食っている状態であるからだ。テレビで見ると3月の国会に登場すると開き直っているようだ。国会がどのように対応するのか見たいものだ。国会議員には会期中不逮捕特権が認められるが、できればガーシーの質問を見たいと思う。仮に国会の場で発言するに値する中味であって後ろめたいものを持つ議員たちに一矢報いるものであれば投票した多くの人たちも多少は救われるのではないか。

◇今回開かれる国会は国難と言われる時だけに国会で問われるべき点は多い。しかしその中でも差し迫った問題はいかに国民を守るかということであろう。北朝鮮のミサイル発射騒ぎはただ事ではない。その技術は侮れないレベルに達しているに違いないから日本に迫る脅威は飛び来る弾丸に向き会うように緊迫している。平和ぼけと言われる日本も自衛のために立ち上がらねばないことは自明である。9条が交戦権を認めないと言っても座して死を待つわけにはいかない。政権は敵基地に対する攻撃を広言するに至った。より直接の恐怖を抱くのは38度線を境にして接する韓国に違いない。国際情勢の危機が高まる中で日本の果たすべき役割がかつてなく重大になっている。その役割を果たすには世界諸国と連携する以外に道はない。岸田首相は広島でのG7サミットに並々ならぬ決意を示しているがそれは国会の試練であり我々の試練でもあるのだ。(読者に感謝)