人生意気に感ず「大災害の時代の鎌原観音堂の教訓とは。保育士の虐待と園児の人権。救済新法成立へ」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「大災害の時代の鎌原観音堂の教訓とは。保育士の虐待と園児の人権。救済新法成立へ」

◇「妻なき人の妻となり、主なき人の主となり」。浅間山噴火大和讃の一節である。私は日本のポンペイと言われる嬬恋村の鎌原観音堂を何度も訪れた。「天明の生死をわけた十五段」観音堂に登る石段わきに立つ石に刻まれた言葉は和讃の一節と共に大噴火の地獄絵図を生々しく伝えている。鎌原村は現在国史跡の指定を目指しているが遅きに失した感がある。

 灼熱の火砕流に追われて石段を登り辛うじて命を得た人々の姿を想像する。田畑も今まで共に暮らした村人も一瞬にして消滅した。人々はその状況を幻かと思ったに違いない。

 近隣の有力者が生存者の中から新しい夫婦の組み合わせをつくった。「妻なき人の妻となり主なき人の主となり」はこの事実を物語る。当時村人の間にも財産や家柄による階級的差別があったがそれを全て切り捨てて平等の原理に立っての再出発であった。恐らく世界に例を見ない人間存在のドラマである。極限に立つ男女がこのようにして夫婦となり村を再建する意義はポンペイの比ではない。私はかねて世界遺産に匹敵すると考えてきた。県が積極的に動くべき課題だと思う。現在大災害の時代が始まっている。浅間が長い眠りから醒めようとしている。観音堂の出来事を今こそ教訓として活かさねばならない。

◇静岡県の「さくら保育園」の園児虐待はなぜ起きたのか。逮捕された3人の若い女性保育士の顔が公表された。この人たちは在職中、事の重大性に気付いていなかったに違いない。この点に社会全体が考えるべき根深い問題があると思う。私は園児の人権に対する素養と理解に欠ける点があったのではないかと考える。だとすれば問題の本質は学校教育の在り方にも繋がることだ。

 不適切保育とは何か、どこからが不適切なのかは難しい面がある。いじめの問題と同様定義と線引きは容易ではない。熱心な先生が、ついやり過ぎるということもあり得る。今回の保育士もしつけと考えて厳しい態度に出た可能性がある。この事件を機に子どもの人権を保育施設を中心に、そして社会全体で取り組むべきだと思う。

◇旧統一教会に関する被害者救済新法が成立する見通しだ。泥沼のように深刻な問題を抱える自民党が野党に譲歩を重ねた結果である。寄付を誘う際の配慮義務につき「十分」を加え十分な義務で落ち着くらしい。厳しい世論の力が国会を動かしたことを感じる。(読者に感謝)