シベリア強制抑留 望郷の叫び 十七
※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載します。
塩原さんと青柳さんは、遠く離れた別の収容所にいたが、共通の体験として次のようなことを語ったことがある。
収容所では、次に誰が死ぬか分かるという。次は奴だと分かると、周りの人の注意はその人の手元に集まる。息を引き取ると同時に、固く握られていたパンがポトリと落ちる。すると次の瞬間、どこからともなく、サッと手が伸びてパンは消えてなくなるというのだ。
このようなことは、ナチスの絶滅収容所でもよく見られたという。奇跡的に死の収容所から生還した精神科医ピーター・フランクルが自らの体験を通して収容所における人間を観察した『夜と霧』の中で、彼は次のように語る。
「人間は極限の状況では、感情は消滅してしまう。残酷医なことにもまったく驚かなくなる。収容所で、次は誰が死ぬかが分かりそれに目を付けている。一人が死ぬと、仲間がまたひとりまたひとりとまだ温かい死体にわらわらと近づき、一人は昼食の残りの泥だらけのジャガイモをせしめ、もう一人は死体の靴をとった、三人目は死体の上着を剥いだ」
二人の老人は、草で囲まれた墓石を見て立ち尽くしている。
夏草の下には、無念の涙をのんだ日本人が眠る。自分たちは幸運にも日本に帰ることができ、21世紀の驚くべき豊かな世界に生き、今シベリアに来てかつての同胞とこのような形で再会したのだ。押し込めていた過去の記憶が一気に甦り、固く閉ざしていた心の蓋は開かれた。
塩原さんは、両手で顔を覆ってすすり泣いている。静かな読経の声が流れ出した。青柳さんは用意した経典を取り出し、石碑に膝をふいて一心に読んでいた。線香の煙が静かに立ちのぼる。私も手を合せていた。
つづく