シベリア強制抑留 望郷の叫び 十 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

シベリア強制抑留 望郷の叫び 十

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載します。

 

 三 シベリア鉄道でユダヤ人自治州ビロビジャンへ

 

 7月20日、ドミトリーが先頭に立ち、研修生ニコライも加わってハバロフスク駅へ。ニコライは、ハバロフスクの大学で日本語を学ぶ学生である。日本人との接し方を学び、将来ドミトリーのような通訳になることを目指していた。まだ童顔の若者は、笑うと人なつっこい目が魅力的であった。

 早朝のハバロフスク駅は、いろいろな顔の人々が行き交って、市内とは違った活気が感じられる。ロシアは多民族国家と言われ、ハバロフスク州も約百の民族が住むといわれるが、駅はさまざまな民族を結ぶ役割も果たしているのであろう。駅前の広場に立つ鋭い顔の逞しい男の像は、ハバロフスクのもの。十七世紀半ば、開拓者ハバロフがこの地に足を踏み入れ、そこから町の発展がスタートした。ハバロフスクの名も、ここに由来する。

 駅舎正面の見上げる位置に大きな時計がある。この時計は変わっていて、短針が二本ある。私が見ていると、ドミトリーが気付いて言った。

「赤い方はモスクワの時刻をさします。7時間の差があるのですよ」

 こんな時計の針もロシアの大きさを刻々と表わしている。かつて、ソ連時代、列車の時刻表はモスクワ時間を標準にしていたために、この時計が必要とされたらしい。時計はその名残だという。

 

つづく