人生意気に感ず「追い詰められるプーチンの現実は。ゼレンスキーの見事な姿」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「追い詰められるプーチンの現実は。ゼレンスキーの見事な姿」

◇今月のふるさと塾のテーマは「ウクライナの行方」である。プーチンは冷酷無比と言われる猛将をトップに据えてミサイルの総攻撃を開始した。これは虚勢なのか、それとも断固としてやり抜く決意の現れか。様々な憶測が飛んでいる。トルコのエルドアン大統領が取り巻きを遠ざけて2人だけで長く話したことも示唆的である。核を振り上げて「はったりではない」と叫ぶプーチンの胸中にあるのは何か。迷いに揺れながらある方向に向っているようにも思える。動員数を増やすのかという記者の問いに「当面はその必要はない」、「クリミア大橋破壊に対する更なる報復は」の問いに同じように「当面はその必要なない」との趣旨の答えである。私はこの会見に臨むプーチンの表情をじっと見た。私の目には断固とした決意は既に薄れているように思える。誤算の上に誤算を重ねてその結果として世界の大半を敵に回したことを認めざるを得ない状況にあるのではないか。戦争分析のプロたちはロシアのミサイル不足をあげる。それも事実で、プーチンを追い詰めている現実に違いない。そこで多くの人々があげる問いがある。「核があるではないか」。プーチンの「はったりではない」という発言はプーチンの偽らざる決意であったと私は思う。しかし、その決意とその実現の可能性は別である。アメリカを中心とするNATOは、一度核が使われたらロシアは壊滅的結果を招くことを冷厳に伝えている。これこそ核抑止なのだ。プーチンは核の使用が容易ではないことをいざ核のボタンを自らの手を近づけて気付いたに違いない。プーチンにとって残された選択肢は次第に限られたものになっている。もう一つ、プーチンの選択肢を考える上で重要な要素は戦うウクライナの一貫した士気の高さである。ゼレンスキー大統領が最初から徹底して戦いの先頭に立つ姿を貫いていることは驚くべきである。いくらウクライナに大義があってもトップの腰が引けていたらクリミア半島の二の舞に帰したに違いない。プーチンの大誤算はゼレンスキーの戦う姿について最も端的に現われているといっても過言ではない。その全世界に対する発信力は見事である。米議会に於ける演説はアメリカの世論を動かした。その特異のキャラクターと一瞬にして全世界に伝わる文明の利器をこれ程巧みに駆使する例は歴史の金字塔になる可能性がある。26日のふるさと塾はこの点を中心に熱く語ろうと思う。(読者に感謝)