シベリア強制抑留 望郷の叫び 六 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

シベリア強制抑留 望郷の叫び 六

※土日祝日は中村紀雄著「シベリア強制抑留 望郷の叫び」を連載します。

 

 入国手続きを済ませて出てゆくと、

「ナカムラさんですか」

 長身のハンサムな外国人が声をかけて近づいてきた。この成年が通訳権ガイドのロシア人、カムリア・ドミトリーだった。気付くともう一人の大柄な女性がドミトリーの背後から近づき、私に手を差しのべた。彼女は、日本政府から勲五等瑞宝章を受けたロシア人ガリーナ・パタポアさんだった。これからの数日間、この二人には大いに助けられることになる。特に、いまだに知られていない、見捨てられたようなビロビジャンの日本人墓地に案内されたこと、国立文書館でまさかと思っていた「スターリン大元師への感謝文」を入手できたこと。青柳由造さんがロシア民間人の家庭で倒れた時の危機脱出など、この二人には並々ならぬお世話になった。これらについては、後に触れることにする。

 

二 極東シベリアの拠点ハバロフスク市のこと

 

私たちの目的地であり、塩原さんが二年以上も収容されていたハバロフスク市とはどんなところか。私たちは専用の車に移り、宿舎のインツーリストホテルに向った。好青年ドミトリーは、私の質問に答えて、流暢な日本語でハバロフスクのことを教えてくれた。

 ハバロフスク市は現在人口70万人。極東シベリアで最大の都市で、また文化や経済の中心都市でもある。バイカル湖のあたりから流れ出し、日本海の間宮海峡に注ぐ全長4,400キロメートルの大河アムール川に面して立つこの都市は、かつてはシベリア強制抑留の拠点で、多くの強制収容所が存在した。少年の頃、歌手の三波春夫がハバロフスク小唄を唄うのを聴いたことがある。

 ハバロフスク ラララ ハバロフスク

   ラララ ハバロフスク

 故郷は遙かな 雲のかげ

 いつの日に妻や子と逢えるやら

 男泣きする夢ばかり

 

つづく