甦る田中正造 ー死の川に抗してー  第四十六話 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

甦る田中正造 ー死の川に抗してー  第四十六話

土日祝日は、毎日新聞に連載された小説「甦る田中正造」を紹介致します。 

松木村訪問で入手した資料から、いくつかの事実を取り上げてみたい。先ずヨロケと呼ばれた珪肺病である。それは肺機能が衰え呼吸困難になるので、とにかく苦しいらしい。

これに罹った人は、「殺してくれ」、「早く楽になりたい」と叫ぶ。ある女性は削岩夫の夫のことを振り返る。上背があり男前で威勢がよかったが十一年間坑内で働き、「ヨロケ」で退職。その後病が進行し最後には、「二日間、そばを離れないでくれ」と言って背中をさすらせるまでになり、三十六歳で亡くなった。

 閉ざされた穴での粉塵の中の作業だから多くの人が珪肺に罹り短命であった。こういう状況を承知の上で作業をさせる企業の体質、そしてそれを放置したのが国家であった。日清、日ロの戦いで勝ち、世界の一等国入りしたと誇りながら実態はこうであったのだ。とても文化国家ではない。「人生至る所清山あり」という。足尾には楽しい祭りがあり、生き生きとした日常の市民の生活があったことが記されているが、それも恐ろしい地獄の釜の上での束の間の幻に過ぎないように感じられる。

 また地獄の釜の中を現す次のような事実がある。地底の穴を押す山の圧力は想像を絶するものだった。それをひとびとは盤圧と言った。直径二十cm以上の丸太が一夜のうちに「天秤棒」のように曲り、そして折れるという。また、「盤むくれ」といって、鉱車が通れないほど坑道が狭くなる。あるいは落盤による山鳴りが遠くから響きわたる。正に地獄という他はない。

 廃墟と化した松木村の残骸は、鉱毒の原点を無言で雄弁に語っていた。それは田中の「真の文明は」の訴えと一つになって、現代の文明の行方に警告を発し続ける姿に思えるのだった。(次回からは田中と関わりの深かった四人の人物、黒澤酉蔵・荒畑寒村・幸徳秋水・古河市兵衛を取り上げる)

つづく