甦る田中正造 ー死の川に抗してー  第三十七話 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

甦る田中正造 ー死の川に抗してー  第三十七話

土日祝日は、毎日新聞に連載された小説「甦る田中正造」を紹介致します。 

 沿岸住民の被害は洪水の打撃だけではなかった。それは古在博士が明らかにした水源地の土砂に含まれる鉱毒の害であった。魚は死に、田畑は汚染され、人々の健康は害された。被災住民は怒ったが、国を動かすことは出来なかった。

 このような状況下で明治二十九年の大洪水は起きたのである。「その惨状は筆舌の及ぶところにあらず」と言われ、正に待ったなしの事態となった。洪水の被害は東京まで及んだ。それはことの重大性に於いて、地方を超えた国家的大問題であった。

 このような時、国会が動かなければ国家は有名無実であり、政治家は存在しないことになる。

 明治三十年二月二十六日の田中正造の質問は特筆に値するものであった。群馬県民の意識は大いに高揚していた。中村群馬県知事が栃木県知事と共同して国に上申書を出し、新聞でも取り上げられ住民も動いたからである。しかし国は動かない。そのような状況下での田中の国会演説を群馬県民は非常に注目した。この日、田中の演説を聴くため多くの県民が傍聴に参加していたことはそれを物語る。

そして、鉱毒の悲惨さとそれに対する政府の無策、古河鉱業の傍若無人ぶり、それらが繰り広げられる渡良瀬川沿岸は田中と被害民にとって戦場であった。これらの戦いを賭けた議会活動であるから、議会は渡良瀬川の延長であり、田中にとって正に戦場であった。

つづく