人生意気に感ず「終戦の日にウクライナ戦から学ぶこと。個々の地獄と全体の位置づけ、両方は関連する」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「終戦の日にウクライナ戦から学ぶこと。個々の地獄と全体の位置づけ、両方は関連する」

◇ウクライナ戦が長期化する中で私たちの感情にも疲れや複雑なものが生じている。その中で危険なものはウクライナ東部を「くれてやれ」、そして「停戦を実現しろ」というあきらめだ。私は反対である。正しく耐えねばならない。実際の戦況はロシア軍が大変な苦境に陥っているらしい。ここで現在耳よりな情報が報じられている。ウクライナ南部のロシア占領地域でウクライナ軍が攻勢を強めロシア軍の一部が撤退を初めているというのだ。ウクライナは北から南へドニエプロ川が流れロシア軍の撤退はその西側から東部へ向けてである。南部ミコライウ州の知事は13日、「愚かなロシア軍はドニエプロの西側を放棄する動き」との見方を示した。ロシア軍の動きについては様々な情報がある。兵士の動員は限界に近いというのもその一つだ。また非人道的な残虐行為などもいくつも指摘されている。戦争の悲惨さについては終戦記念日であることから特に太平洋戦争の地獄の状況が伝えられている。ロシアの行為はかつての日本の状況の再現を思わせるものがある。これは戦争の本質は時を経ても、人種が異なっても変わらないことを物語るものだ。私たちはかつての日本の状況をウクライナ戦争と結びつけて考えねばならない。その時注意すべきことがある。それは個々の惨状と全体の流れの両方を見ることだ。個々の出来事は非常に重要であるが、それだけでは木を見て森を見ずの弊に陥る。それでは結局個々の悲劇も正しく見ないことになる。全体の流れとは民主主義か専政主義か、端的には私たちの民主主義の運命に関わることだ。日本も含め欧米が一致してロシアを非難している意味はこの点にある。

◇ウクライナ戦でウクライナは初めの大方の予想以上に善戦している。それは戦いの大義を信じる兵士の士気の高さや世界の自由勢力の支えがあるからだ。ウクライナの兵士たちは世界の声援に励まされて必死で戦っているが興味が向くのは小さな兵器が強大な威力を示している現象である。その例として兵士が肩にかつぐ対戦車用のジャベリン、そしてドローンがある。ドローンは高地を奪うに等しい威力があるのだ。高い所は全体を見る上でも戦略の要。日露戦の203高地を思い出させる。ドローンは安くて大量に作れる。ウクライナでは市民が作ったドローンも参加している。女性も含め弱い市民が核の時代に大きな役割を果たすことに驚かされる。終戦の日にウクライナ戦から学ぶものは想像を超えて大きい。(読者に感謝)