甦る田中正造 ー死の川に抗してー  第三十五話 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

甦る田中正造 ー死の川に抗してー  第三十五話

土日祝日は、毎日新聞に連載された小説「甦る田中正造」を紹介致します。 

洪水が度々起き追い詰められた両県知事が緊急の要件として検討を求めたのは以下の点である。

①   鉱山側が鉱区の河川の流路を変える時は所轄県庁の認可をうけさせ、それによって災害が生じる恐れある時、国は鉱業人に予防工事をさせること。

②   土砂鉱屑を水源の川に捨てさせないこと。

③   国が水源に関係ある官林を払い下げる時は所轄県庁の意見を聴いた上で検討すること。

④   鉱業人が水源に関係する山林を伐採した時は、植林等の保護策をなさせること。

栃木・群馬の両知事が政府にこのような渡良瀬川問題に関する請願書を出した直後、利根川次いで渡良瀬川に未曽有の大洪水が生じた。

1896(明治29)年7月21日の大洪水につき当時の東京日日新聞は利根川・群馬県庁裏の水量は二十八尺(約840センチメートル)に達し利根橋は流失し尚増水しつつありと報じている。かつて前橋城を危うくさせた逆巻く激流を想像させる。この利根川の大洪水は前橋市を初め中毛西毛の人々に、渡良瀬沿岸の洪水に悩む人々の苦痛を理解させる一つの契機となった。心ある人々は、怒涛のように押し寄せる水を見て、これが毒水であった場合の恐怖を連想して怯えた。渡良瀬川及び利根川沿岸を襲った未曽有の洪水は古河の銅山経営に対する天罰の如くであった。

正にこの時期直接被害地である邑楽郡渡瀬村・大島村・多々良村から群馬県知事宛に切羽詰まった陳情書が寄せられた。

「山林の乱伐は渡良瀬川の水源を枯らし銅山の煙害は草や樹木の根を死なせ土質を毒化し、山岳は崩れて川底を埋め、そのために洪水の惨状は年々激化している。大小の舟は堤の上を往来し家屋は漂流し人は歿してその惨状は筆舌に尽くすことが出来ない」と。「大小の舟が堤の上を往来」という光景は凄まじい。東毛の水害危険地域では今でも軒下に舟が吊り下げられている。

つづく