甦る田中正造 ー死の川に抗してー  第三十一話 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

甦る田中正造 ー死の川に抗してー  第三十一話

土日祝日は、毎日新聞に連載された小説「甦る田中正造」を紹介致します。 

 明治十三年栃木県令藤川為親は、渡良瀬川の魚は衛生に害があるから一切捕獲を禁ずるという県令を出した。この勇気ある判断は東毛の群馬県民にも大きな衝撃を与えた。更に、明治二十三年一月「郵便報知新聞」が渡良瀬川の異変を取り上げたことにより問題は一挙に表面化した。

 郵便報知新聞は「渡良瀬川に魚族絶つ」の見出しで鉱毒を大きく取り上げた。その要点は、古河市兵衛が水源の地で製銅に従事して以来、魚類は減少し遂に全く跡を絶ち漁夫は活路を失ったこと及び、沿岸の住民は、製銅の際の銅屑がその原因だから県は古河に談判をせよとしきりに声を挙げているなどであった。

 このような動きが渡良瀬川が流れる隣りの群馬県にも影響を及ぼすのは当然であった。渡良瀬川の異変は東毛地区一帯に徐々に広がっていったのである。

 群馬県山田郡の渡良瀬川沿岸では、桐原村で鮎三万尾、大間々町では同じく鮎八十万尾などと豊かな漁獲高が記録されていたが、それが急激に減って獲れなくなっていく。このような状況を反映して群馬県議会に於いて明治二十四年の通常県会で早くも動きが見られた。邑楽郡、新田郡などの出身県議により、渡良瀬川の問題につき建議書が出された。

 邑楽郡出身の小島文六、新田郡出身の武内格太郎等である。建議書の審議を巡って質問がなされた。

 群馬県議会に於ける発言は「建議」を巡ってなされた。議院の語気は鋭かった。

「足尾銅山の調査につき栃木県に照会したか。また、栃木の山林伐採につき照会したか。本県下の官有林伐採につき調査をしたか」

 群馬県の議員は隣県栃木の鉱毒と山林濫伐のことが大変気になっていたのだ。

 議院の追求に対して県の役人は何もしていないことを告白した。その他、水の試験方法などについても厳しい質問がなされたが、群馬県の役人の姿勢には誠意がなかった。

つづく