甦る田中正造 ー死の川に抗してー  第二十二話 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

 甦る田中正造 ー死の川に抗してー  第二十二話

土日祝日は、毎日新聞に連載された小説「甦る田中正造」を紹介致します。 

また、農家の主婦が野菜を買っている姿は被害の極致を示すものと訴える。更に木下は中央政府の誤解の根本的原因を指摘する。地方官は住民に接する場合に深く同情すべきなのに驚く程冷淡で、しかも被害民の哀訴嘆願を虚偽の行為と曲解し、それを一部の者がそそのかしていると見ている。これは大誤解であると同時に、鉱毒地の人民を暴民団体と解する原因となっていると訴える。そして「余はこの最下級官吏の誤解が上に伝えられ、やがて中央政府の解釈となることを憂ふるなり」と政府の誤解の中核を示した。

 ここで記されていることは、明治憲法の下に於ける官吏の特色を抉り出している。彼らは天皇の臣であるという意識から住民の立場に立とうとしないのだ。(帝国憲法十八条以下は臣民の権利義務を定めた)日本国憲法十五条は「すべて公務員は全体の奉仕者であって一部の奉仕者ではない」と定めるが、天地の差があった。専制政治の厚い雲の下ではその重圧に押しつぶされそうな被害住民の姿が想像される。現在の日本国憲法の規定は被害民の遥か上空に広がる青空であった。

そして、「被害民の意思」として木下は書く。「中央政府の諸君、安心せよ。彼ら被害地人民は共和政体を新設せんと欲するに非ず、諸君の椅子を奪はんと欲するに非ず、彼らはただ自己一身の利害のために諸君に向て救済を哀求するに過ぎざるなり」。

木下は被害民の一揆的行動が政府の転覆をめざす革命的なものでないから安心せよと政府に向かって告げているのだ。続いて木下は被害住民の心情を活写する。「余は彼等人民に接し専制政治に慣れたる国民の如何に深く政府を尊重するかを知れり」。現代に生きる私たちの耳には一見奇異に響くが、批判を許されない専制下で長く暮らしてきた国民は政府に対して従順であることがその実態であった。だからと木下は続けるのだ。政府が誠意をもって害毒改善に臨めば民心は満足し円滑な終局を告げるだろうと。しかし、政府はこの道をとらず、被害民を人間でないように遇している。このことが人民の怨恨を増々大きくしている。そこで「余は彼ら人民の可憐なる心情を解すると同時に今日の政府が心胸を開きて人民に臨むの雅量なきを悲しみ、到底治国の任に堪へざることを思わずにはいられない」と痛切に訴えた。ここには単なる新聞記者の枠を超えた文人木下の心の世界を窺うことができる。木下は更に群衆が解散したにも拘らず警官が暴行を加えたことを厳しく糾弾した。

つづく