甦る田中正造 ー死の川に抗してー  第二十話 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

 甦る田中正造 ー死の川に抗してー  第二十話

土日祝日は、毎日新聞に連載された小説「甦る田中正造」を紹介致します。 

 

 下野新聞には次のような記述がある。

「逃げる被害民を追って、泥田の中で動けない者を殴打し、蹴倒し、サーベルで打って足腰が立たぬまで負傷させた」、「泥田に顔を押入れ一人を六、七人でねじ伏せ、手足を縛りあげて全く抵抗できぬ者を半死半生に至らしめた、その光景実に酸鼻に耐えず」「足腰も自由にならぬほどに打撲傷を負える者十五人、その姓名は左の如し」として、永島与八以下十四名の実名を挙げている。そして最後に「ああ、警官が人民をこのように虐待したことは未だかつて聞いたことがない」と記述した。

 この川俣事件に関して毎日新聞は木下尚江を特派員として派遣した。木下は「鉱毒飛沫」と題して現地の惨状を鋭く描写した。

木下はキリスト教社会主義者として足尾鉱毒問題で活躍した人である。また、日ロ戦争前夜には反戦小説「火の柱」を執筆したことでも知られた。

 ここでは「鉱毒飛沫」からその要点を紹介したい。

まず大きな問題になった警察官の「抜剣」について木下は次のように記述する。「館林警察署長は断じて抜剣の動作なしと明言せり。されど余は被害人民の多くより警官の中に抜剣したる者を見たりと訴ふるを聴けり。ただ余は、警官等が抜剣の事がないようにと、予め麻縄で鍔を縛し置けりとの弁解をしたことにつき、この無用なる周到の用意はかえって疑惑を招くに過ぎないと感ずるのみ」

 住民の人権を考慮する必要がない当時の警察が抜剣できないように予め麻縄で結んでおくだろうか。警察が敢えてそのように弁解したことに木下は疑いを感じている。そこには警察に対する強い不信があるに違いない。

また、内村鑑三や幸徳秋水が記者として活躍した萬朝報は次のように報じた。

「我社の出張員が目撃した所では警察幹部が川俣で抜剣を禁ずる命令を下したのは事実だが、実際の闘争に及びては、巡査等は自己を防衛するためと称して抜剣したことに相違はない」

  果たして抜剣したのかどうか、その証拠は今のところない。真如院での応急手当などに関する負傷に関し、治療の記録などがあれば、巡査の剣で切られたか否か分かるかも知れない。死者が出たか否かも大きな関心事である。

つづく