甦る田中正造 ー死の川に抗してー  第十六話 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

 甦る田中正造 ー死の川に抗してー  第十六話

土日祝日は、毎日新聞に連載された小説「甦る田中正造」を紹介致します。 

 

「川俣事件」

 私は、過日明和町を訪ね川俣事件記念碑を調べた。そして、その事件当時の情況を知りたくて、永島与八著「鉱毒事件の真相と田中正造翁」を読んだ。

永島は川俣事件の被告であった人で、この書を書いた時は佐野教会の牧師であった。彼は、徹頭徹尾正確な史実を書き遺すとその序で述べる。以下はこの書やその他の資料を材料にして得たものを私の筆で再現したものである。

明治三十三年二月十三日、午前一時頃から被害住民は雲竜寺に集まり始めた。渡良瀬川の川面を吹き渡る風は身を切るように寒い。

住民は各地から蓑をはおり身を寄せ合うように集まってくる。雲竜寺の境内はかがり火が焚かれ緊迫した光景が闇の中に浮き上がっていた。この日は第4回の「押し出し」なのだ。このままでは鉱毒で生活を害され命もない。このことを考えれば押し出しに命をかけることは何でもない。その悲壮感が人々の表情に現われていた。寒気と夜の闇が人々の緊迫感を高め、闇の中で揺らぐ赤いかがり火が人々の闘争心を駆り立てていた。

しばらく前、この決行を告げる知らせが村々に伝わった。渡良瀬川は巨大な蛇のようにうねっている。母なる川が巨大な化け物と化そうとしているのだ。その原因は源流から溶けて流れる鉱毒である。この毒を流す悪さは国の仕業である。被害住民の胸にこの思いが沈殿し累積し限界に達しつつあった。

雲竜寺の田中の墓前の碑に、田中が遺した歌が刻まれている。

「毒流すわるさやめずば我止まず、渡らせ利根に血を流すとも」

この歌に込められた怨みがこの夜の人々を動かす力になっていた。

前の日の夕方、沿岸一帯に梵鐘(ぼんしょう)の音が響き渡った。その音は被害民の胸に積もった鉱毒を揺さぶり、慣れっこになりかけた人々の怒りに火を付けた。

資料によれば、午前一時頃までに人々の数はおよそ千人に達した。広い庭の五、六カ所にかがり火が焚かれ、赤い炎と一体となって庭内には殺気が漲っていた。ただならぬ情況は警察にも伝わっていたから、当局も必死だった。館林署の警察署長は今(こん)鐡平であった。この人は昔の百姓一揆を頭に描いたことだろう。一つの警察署の手に負えることではない。今署長は上部の指示を仰いでいた。彼は殺気立った雲竜寺に、巡査四十から五十名を率いて現れた。腰のサーベルに映ったかがり火が赤く揺れている。今日と違って警察の権力に民衆が怯えた時代である。

つづく