甦る田中正造 ー死の川に抗してー  第四話 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

甦る田中正造 ー死の川に抗してー  第四話

土日祝日は、毎日新聞に連載された小説「甦る田中正造」を紹介致します。

 

平成三十年の春、私は栃木県小中町の田中正造旧宅を訪ねた。それは田中正造に接近する初めての一歩であった。ところで、歴史上の人物への接し方には様々な形がある。

 実は、私には田中正造との遭遇ともいうべき出来事があった。もちろん、田中正造のことは昔から知っていたが、それは表面的なことで、真の出会いではなかったのである。ここで敢えて遭遇という言葉を使ったのにはある理由があった。

 私は、ハンセン病に関する小説「死の川を越えて」を上毛新聞に連載している中で田中正造が命がけで渡良瀬川に取り組んだ事実に出会ったのである。そして、その姿は「死の川」との闘いであることを知った。私の小説は死の川を「越えて」であるが、田中正造の闘いは死の川に「抗して」とも言うべき実態であった。いずれも対象が「死の川」であることに興味と共に新鮮な驚きを持った。これが遭遇の第一歩であった。こんな思いで田中の世界に更に踏み込むと、そこには壮大な引き込まれるようなドラマが果てしなく広がっているではないか。遠景の中にそびえる足尾銅山、そしてその麓から渡良瀬川が自分に向かって迫ってくる。その流れを埋める炎のように枯れた葦の原が果てしなく茫々と広がっている。それは石川啄木の歌を連想させた。啄木が旧制盛岡中学四年の時、田中の天皇直訴に感激して詠んだ「夕川に葦は枯れたり血にまどう民の叫びのなど悲しきや」である。この流れが人間のドラマであり人権の流れであることを感じとった時、正造との遭遇の意味は一層濃いものになった。

つづく