甦る田中正造 ー死の川に抗してー  第二話 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

甦る田中正造 ー死の川に抗してー  第二話

土日祝日は、毎日新聞に連載された小説「甦る田中正造」を紹介致します。

 

 私は死の川が人々を苦しめ、原因を作る企業を国が保護する構造は渡良瀬川鉱毒事件と酷似していると思った。民主主義と人権を謳歌する時代なのに富山県に政治家はいないのか。神の川をその名のように甦らせることに命をかける田中正造は現われないのかと苛立った。

 その後、イタイイタイ病事件は訴訟の場で争われ患者たちは勝訴し、公害の原点と言われた。しかし、公害の原点といえば田中正造を挙げねばならない。彼は戦前という全く異なる時代状況の下で政治家の本分を発揮した。そして帝国憲法を最大限生かそうと努めた。それを見ると、正造の姿は人権の原点ともいえる。政治の信頼が地に落ちた今日、正造に学ぶべきことは限りなく大きいと私は改めて思った。

そこで私はある日、神が通る川という神通川の名の由来と世にも悲惨なイタイイタイ病に引き寄せられるようにして、富山県の婦中町を訪ねた。富山駅は北陸新幹線に乗って、有名な宇奈月温泉駅の次であった。

バスに揺られておよそ三十分、その間の神通川を過ぎで婦中行政サービスセンターに着いた。私はここで全く偶然にOという人物と出会い、イタイイタイ病に関する主要な所を案内してもらうことになった。旅の面白さは未知との出会いにあるが、O氏との出会いは神通川の歴史を支える神の導きとも思えた。

 O氏は、市の公務員を退職された方で、地域の歴史に通じておられた。婦中地区は神通川の沿岸にあって、かつてここに集中的に奇妙な病気が発生した。この地域は全ての生活が神通川の水に頼っていたのである。人々が神とあがめる川が悪魔に変身していることを純朴な農民は誰一人として信じなかった。奇病の原因が神通川の水に含まれるカドミウムであることを初めて発表した人は地元の萩野という医師であった。私は萩野病院を見たかった。カドミウムによる汚染土壌を客土によって改良した田が整然と遠くまで広がる。その光景が尽きたあたりの道路に沿って草の空き地が広がっていた。

つづく