人生意気に感ず「観光会社の責任の取り方。土下座を巡る私の悔恨」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「観光会社の責任の取り方。土下座を巡る私の悔恨」

◇知床観光船事故の記者会見をみた。冬の過酷な海での人命軽視は否定できない。この事件は今後の観光事業に様々な課題を提起するに違いない。異常気象が常態化している中で、私たちは業者を全て信頼することは出来ない。気象により敏感になり自衛の意識を高めることが求められる。天災と人災は微妙に絡み合う。慣れの中で危険感覚も知らぬうちに鈍化しることを警戒しなくてはならない。

 会見で私が衝撃を受けたのは予想通り土下座があったことである。あの光景に批判非難の矛先を弱めた人もいるのではないか。土下座は時代錯誤の日本文化の一面を語るものだと思う。

◇土下座については、かつての忘れ難い思い出がある。県議選第一回の開票が迫っていた。総決起大会の壇上で私と妻は土下座することになった。選対幹部の決定に逆らうことは不可能であった。今から思えば拒否できなかったのは私の力不足だと悔やまれる。日頃戦挙は民主主義の基盤と考えていた私からすれば票を得るのは言論の力によるべきは明らかなのだ。土下座は自分を卑下させ有権者の同情心に訴えるものだ。妻は言った。「もう選挙はしたくない」。私は「高い所からたいせつなことを頼むのは失礼と考えよう」と言って妻を説得した。長い選挙の経験を通しての痛恨の思い出である。時代は大きく変わった。現在選挙で土下座の話は聞かない。これは日本の文化が進歩したことを示すものか。しかし、最近の身近な地方選で、私はインターネットを武器に闘う姿に違和感を覚えた。それでは熱いものが伝わらないからである。

◇知床観光の記者会見に話を戻すと。これは選挙ではないから同列に扱うことは出来ない。しかし違和感を覚えるのは謙虚に必死で説明責任を果たしているようには見えないからである。荒れる海に呑まれた人を真に考えるなら三度の土下座は逃げの姿とすら映る。

◇空転の国連は改善に向うのか。一つの常任理事国が拒否権を行使することによって重要な課題が決められない。国連の自縄自縛を少しでも改めなければならない。そこで常任理事国が拒否権を行使した場合、10日以内に総会を開いて拒否権行使の理由を説明しなければならないという案が採択された。その効果は未知数であるが一歩の前進になることを期待したい。全世界が力を合わせる国連のシステムは人類が到達した一つの理想であるが、まだ現実との間に大きな乖離がある。そして、これを縮める努力は人類の責任である。(読者に感謝)