人生意気に感ず「シベリア強制抑留の真実。ロシアの本質は変わらない。製鉄所地下の民間人は」
◇多くのウクライナ市民などがシベリアに送られたらしいという報道がある。もし事実としても、かつての酷寒と飢えの強制抑留と直ちに結びつけることは出来ないだろう。しかし地の果てに強制的に送られる人々の心のうちを思うとたまらない。私はかつてシベリアの強制抑留跡を訪ね「望郷の叫び」を書いた者として、日本人が経験したあの現実の一端を再現させたい。それはウクライナ難民の悲惨な現実がロシアの政策の一環として行われていることとの関係で、極めて現代的意味があるからだ。
◇私は数人の仲間と平成16年7月シベリアのハバロフスクを訪ねた。その中にはかつてシベリア強制抑留を経験した前橋市在住のSさんOさんがいた。シベリア訪問を前にしてSさんは語った。「こんなとこ、二度と来るものかと大地を蹴って恨んだ場所ですが懐かしくて懐かしくてたまらない気持ちです」。帰国以来54年の時が流れOさんの心の中もすっかり変化していた。
一行はハバロフスク郊外の夏草が茂る一角を訪ねた。少し開けたところに小さな墓石があり少し離れて一本の木標があった。それには「日本人よ安らかに眠れ」と墨で書かれている。驚いたことが起きた。手を合せていたSさんが突然大声を出して叫んだのだ。「俺だけ先に帰って悪かった」。Sさんの頬に涙が流れている。その夜、Sさんは宿舎で過酷な抑留生活をしみじみと語った。「ロシアは恐ろしい国です。私たちは欺されて運ばれたのです。零下40度を下る寒さの中で初めての冬、ばたばたと仲間が死にました。コチコチになった死体は天井に届くほど積まれたのです。人間は飢えると動物になってしまいます」。こう語りSさんは言葉を止めて目を閉じた。そして目を開け意を決したように再び語った。「収容所では次に誰が死ぬか分かるのです。周りの人の目は固く握られたパンに注がれています。力尽きてそのパンがポトリと落ちると次の瞬間どこからともなく手が伸びてパンは消えてなくなります」。
シベリアには約60万人の日本人が抑留され、約6万人が寒さと飢えと強制労働で死んだ。私は令和4年の現在、シベリア強制抑留の事実を改めて思い返している。あのような人権無視、そして人の道から外れたことをやってのけるロシアという国の本質は変わっていないのだ。独裁者プーチンの行動はそのことを雄弁に物語っている。製鉄所の地下に閉じ込められた人たちの犠牲など、プーチンは少しも意に介さないに違いない。私たちはこのような国と闘っていることを認識しなくてはならない。(読者に感謝)