「彼岸の墓参りをする」 2006年3月23日(水)
※土日祝日は「議長日記」及び「議員日記」を連載します。上毛新聞社から出版したもので、議員時代の私の動きを海外の視察も含めて振り返ったものです。
かつての人生の同志は、亀泉の霊園の片隅に静かに眠る。十字を描いた墓石には、洗礼名「マリア・アンナ」と共に聖書の一節「私は復活であり命である」というイエスキリストの言葉が刻まれている。20数年の歳月が流れていた。精神科医のW氏は、「限りなく熱き墓なり妹よ」とこの墓を詠んだ。歳月は全てを遠くへ押し流し浄化する。墓の主は、天国から私の姿を見て「相変わらずね」と笑っているかも知れない。
「伊香保の外国人少女売買の記事に思う」
人身売買されたインドネシアの少女が伊香保の温泉街で、売春を強要されていたという事件が報じられた。少女は、スナック経営者から「お前は5百万円の借金を負っている。売春して返してもらう」と宣告され客を取らされていた。
人身売買罪の摘発は全国で二例目だという。「人身売買の罪」は、昨年(平成17年)7月に施行された新しい罪である。
刑法226条の2は、次のようになっている。
① 人を買い受けた者は、3月以上5年以下の懲役に処する。
② 未成年者を買い受けた者は、3月以上7年以下の懲役に処する。
③ 営利、わいせつ、結婚または生命若しくは身体に対する加害の目的で人を買い受けたものは、1年以上10年以下の懲役に処する。
④ 人を売り渡した者も、前項と同様とする。
⑤ 所在国外に移送する目的で、人を売買した者は、2年以上の有罪懲役に処する。
日本が人身取引の舞台となっているとの国際的な非難があった。それにこたえる形で設けられた刑である。伊香保の事件は、インドネシアの女性であるが、タイや、フィリピンなど東南アジアの貧しい国から欺されて売買されて豊かな日本へ来る女性は多いのではないか。
かつて遊郭が存在したころは、貧しい農村の女性などが人身売買の対象にされた。群馬県は全国にさきがけて廃娼を実施した県である。初代県令の楫取素彦や第二代県議会議長の湯浅治郎はこの廃娼運動で輝かしい実績をあげた人である。このような群馬県の歴史にてらしても人身売買を許してはならない。都内などで取締りが厳しくなり売春の組織が県内に移ってくる可能性があるという。また、摘発は氷山の一角という指摘もある。
人身売買の背景には貧しさがある。貧しい国の女性は日本で金を稼ぎたいために欺されてやってくる。人身売買を厳しく罰すると同時に被害女性の救済に力を注ぐことは、人権を尊重する日本の大きな義務であるが、この面はまだまだ不十分である。
(人権が尊重される国際化を願って。読者に感謝)