人生意気に感ず「ふるさと未来塾は奇跡の美人エバ・ペロン、33歳のドラマ。その時日本は、世界は」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「ふるさと未来塾は奇跡の美人エバ・ペロン、33歳のドラマ。その時日本は、世界は」

◇明後日20日の「ふるさと未来塾」は前会に続きコロナ後ということもあり飽きさせない話をと思っている。コロナ後とは、コロナで会場がしばらく使えなかったことである。話はアルゼンチンのエバ・ペロンのことである。聖女と言われた伝説の美女の数奇な人生に私が強く惹かれたのは県議会議長としてアルゼンチンを訪れた時であった。大統領官邸の前を通った時、「あのバルコニーからエバはよく演説をした」と説明を受けた。15歳で家を飛び出した少女は危険がいっぱいの大都会のブエノスアイレスで懸命に生きた。彼女を支えたものは私生児として受けた社会の偏見や屈辱感への怒りであった。24歳の時、背の高いハンサムな軍人との運命の出会いがあった。後の大統領ペロン大佐であった。ペロンは後に振り返った。「恐ろしい地震が妻と私を引き合わせたのだ」サンファンと言う町をほぼ壊滅させた大地震は1944年1月16日に起きた。その救済活動の中心に居たのがペロン大佐であった。募金活動に懸命に取り組んでいた時、一人の美しい少女が近づいて言った。「お金持ちから集めるべきだわ」。ペロンは電撃で打たれたように衝撃を受けたという。「その通りだ。君のアイデアだから君が取り仕切ってくれ」

 この出会いがエバの運命を大きく変えるきっかけとなった。塾ではエバの天国と地獄を語る。美しく魅力的で、また暗い背景を背負う故にその生き様は多くの人々の心を捉えた。しかし絶頂期は長く続かなかったのだ。「美人薄命」は洋の東西を問わず人々の心を引きつける。エバの身に悪魔が忍び込み蝕んでいた。子宮ガンの末期と宣告させる。「私の痛みを支えるには、私の身体は小さすぎるのです」、「私の望みはペロンと国民の皆さんと共に永遠に生きることです」。このようなことが語られ遺書をのこしてエバは33歳の生涯を閉じた。

◇ふるさと未来塾では時代背景を知ってもらうことが重要である。その中で巨大地震も語るつもりだ。エバの活躍期は第二次世界大戦と重なる。ペロンとの運命の出会いの場となった巨大地震は1944年1月16日で日本では太平洋戦争末期だった。この年12月7日巨大地震・東南海地震が起きた。そして直前の11月24日東京初空襲で日本は大混乱の中で激しい報道管制が敷かれ国民に大地震が知らされることはなかった。この巨大地震が今近づきつつあるのだ。(読者に感謝)