「園遊会」 2006年4月28日(金)
※土日祝日は「議長日記」及び「議員日記」を連載します。上毛新聞社から出版したもので、議員時代の私の動きを海外の視察も含めて振り返ったものです。
4月27日、県議会議長として春の園遊会に招待された。図らずも天皇や多くの皇族と話を交わすこととなった。
赤坂御苑は静かで、雅楽の音が時々森の奥から伝わってくる。木立に囲まれた広い庭園には静かな水をたたえ変化に富んだ形の池があり、その上に時々小雨が落ちて水面に小さな波紋をつくっている。池のまわりには小道がめぐり所々に小高い芝生の丘があった。道に沿って多くの人々が立っている。傘をさす人や大きな木の下で雨を避ける人もいる。
妻と私は、天皇が歩かれるコースの程よいところを選んで立った。近くで人々がにぎやかなので見るとそこには特別な有名人が集まっているらしい。私が知る人に、アグネス・チャン、和田アキ子、聖路加病院の日野原医師などがいた。
午後二時十分、二、三百メートル彼方の開けた芝生の上に天皇・皇后がお姿を現わされた。御二人が人々の前をゆっくりと進み、その後ろに随従する皇族の姿が見える。やがて天皇が私に近づいて歩みを止められ、胸のネームプレートに視線を移された。私は、半歩ほど前に立って頭を下げていった。
「群馬から参りました」
「群馬県の議長さんですね」
天皇陛下の静かな声を私は全身で受け止めていた。群馬という声が、陛下のすぐ後に続いた美智子皇后の耳に入ったらしい。皇后は、ほほ笑みながら静かに言われた。
「群馬はどちらですか」
「前橋でございます」
私は恐縮して答えた。皇后は、そうですかというようにうなづいておられた。皇后が群馬に深い関心をお持ちの様子がうかがえた。私は少年時代に見た、白黒テレビに映る結婚式の光景を思い浮かべていた。
天皇・皇后からお言葉を頂いたことが注目されたためか、私は、その後に続く皇族方と言葉を交わすことになった。皇太子殿下は、今年群馬に行くと言われた。7月の献血大会のことと思われる。また、寛仁殿下は、寛仁杯で協力していますよと笑いながらおっしゃった。御主人高円宮殿下を亡くされた久子様とはかつて天文台をご案内したときのことを話した。久子様は今年の大雪のことを心配されていた。
秋篠宮殿下は、尾瀬国体のことを懐かしそうに語られた。
「片品のあの高校は良い取り組みをしていますね」
殿下が生徒の説明に耳を傾けながら熱心に質問されていた姿が思い出される。
「小学校では、おやきを召しあがられました」
「ああ、おいしかったですよ」
殿下は明るく笑われた。殿下が尾瀬国体に際し、武尊根小学校を視察され、おやきを召しあがられた話は2月20日の「日記」で書いた。
激動の社会、流されていく日本、この日の皇居の森の営みは、それをしっかりとつなぎとめているように感じられた。
皇室を中心とした日本伝統文化が守られることを願って・・・。