人生意気に感ず「パラリンピックの開会式を観た。多様性を象徴する舞台。社会進出の夜明けは進む」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「パラリンピックの開会式を観た。多様性を象徴する舞台。社会進出の夜明けは進む」

◇コロナが猛り狂う中で東京パラリンピックが始まった。東京五輪と共にある意味ではそれ以上に歴史に残る祭典になる。57年ぶりに史上最多の約4,500人の選手が参加する。

 1964(昭和39)年の東京五輪閉幕2週間後に傷害者の国際大会が開かれた。これが現在の「パラリンピック」の源流となった。この大会は下半身麻痺の車イス使用者が対象で、世界22カ国から369人が参加、そのうち日本人選手は53人であった。この日本人選手のほとんどは脊髄損傷者のための施設や病院の入所者や患者であった。当時の日本では傷害者がスポーツをすること自体が考えられなかった。

 傷害者のスポーツ大会に参加できた人は傷害者全体からみればごく一部であった。身体にハンディを抱えた人々を見る目は冷たかった。そういう人たちの多くは世間から身を隠すようにして暮らしていた。

 日本国憲法が施行されたのは昭和22年5月3日である。人間の尊重を高く掲げる憲法の下に於いてもハンディを持つ人への偏見は改められなかった。私はハンセン秒に苦しむ人々をテーマにした新聞小説を一年余にわたって書いたが彼らも傷害に対する世間の偏見の犠牲者であった。1964年の傷害者スポーツの国際大会は広く傷害者の社会進出の夜明けであった。義足や義手の女性が宙に舞い車イスがぶつかり合う。メダルを勝ち取った時の歓喜の姿。それをハンディを抱える全ての人が我が事のように喜び胸をときめかすに違いない。人間の尊重とは一人一人を個人として認め大切にすることである。それは今回のオリンピックがテーマとして掲げる多様性の尊重に他ならない。このことはパラリンピックに於いてこそ真価が発揮される。

「歴史的な意味」に異常なコロナ禍の中で行われる点がある。コロナの災害はグローバリゼーションの中で世界大戦の感がある。コロナの教えがあるとすれば多様性を超えて助け合うことである。それを実現する象徴的場面がパラリンピックだと私は信じる。

◇昨夜(24日)、選手たちの入場行進を見た。7月23日の東京五輪入場式の選手たちと正に対照的である。これこそ多様性の場面である。義足、義手、車イスの選手の一人一人に大変なドラマと社会的背景がある。内戦やテロで傷ついた人もいる。13日間の競技を通して傷害者に対する私たちの認識が大きく変化するに違いない。(読者に感謝)