人生意気に感ず「76年目の夏に思う歴史の流れ。満州移民とシベリア抑留の真実」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

人生意気に感ず「76年目の夏に思う歴史の流れ。満州移民とシベリア抑留の真実」

◇終戦から76年目の夏を私たち日本人はそれぞれが様々な思いで受け止めている。しかし多くの人は他人事と捉えているのが現実である。それは無理もないことである。戦争を直接体験した人はほとんど世を去って、現在生きている人は戦争を歴史上の出来事として受け止めているからだ。しかも歴史の出来事としても真剣に教えられていないという事が重大である。これは歴史教育の問題である。長いこと歴史を暗記物として教えてきたのは間違いであった。もとより戦前のように歴史をもって国民の思想を導く手段にすることは許されない。歴史は科学であると同時に日本人の生きた物語でもある。そして歴史を学ぶ目的は現代社会を知る手段であることをしっかり踏まえることが重要である。

◇昭和20年8月8日のソ連の対日宣戦布告は満州の悲劇を知る上で重要である。8月15日に天皇の終戦の言葉があり9月2日には降伏文に調印がなされ戦争は正式に終結した。しかし満州に於いては新たな地獄が開始された。満州開拓民の避難行とシベリア強制抑留である。

 私は前者については「炎の山河」を後者については「望郷の叫び」を書いた。広大な満州に於いて国民を守るべき関東軍の主力は終戦前に南太平洋などに移して丸裸の状態になっていた。「炎の山河」では前橋出身の若い女性松井かずさんを通してソ連兵の暴行に脅える地獄のような混乱を書いた。満州移民は日本の国策であったが傀儡国家満州国の建設に始まる中国への進出は明らかに侵略であった。国の政策を正しいと信じて疑わなかった松井さんなど一般国民は哀れな犠牲者であった。

 松井かずさんは既に敗色が濃い昭和20年5月勤労奉仕隊に参加して満州に向ったのである。正しい状況が国民に知らされていれば満州行きは有り得なかったと松井さんは後に私に語ってくれた。

◇「望郷の叫び」では終戦間際になだれ込んだソ連軍に為す術もなく鎮圧され、およそ60万人の日本人がシベリアに連れ去られた強制抑留について書いた。酷寒と飢えと重労働によってそのうち6万人もの人々が命を落とした。太平洋戦争終結後、米ソの冷戦が始まり、日本はアメリカの最前線という状況に置かれた。ソ連とすれば日本人を共産主義に向けて再教育して日本に送り返そうとするのは当然であった。このような状況が抑留者の苦しみを一層大きくした。シベリア抑留の真実をこの続きとして明日書こうと思う。(読者に感謝)