オリンピック特集「開会式翌日のふるさと塾。五輪の歴史を熱く。パラリンピックこそ金字塔」 | 中村紀雄オフィシャルブログ 「元 県会議員日記・人生フル回転」Powered by Ameba

オリンピック特集「開会式翌日のふるさと塾。五輪の歴史を熱く。パラリンピックこそ金字塔」

◇24日のふるさと塾は東京五輪開幕式の翌日であった。この会場にも前夜の緊張の余韻が感じられるようであった。テーマは予告通りオリンピックの歴史である。先ず古代オリンピックに触れた。なぜ平和の祭典なのか、それはオリンピックの期間戦争をストップさせたこと、そして近代オリンピックにも引き継がれていることなどを話した。近代オリンピックで私が力を入れたのはベルリン大会である。第二次世界大戦前夜、ヒトラーはナチスの宣伝に最大限オリンピックを利用しようとした。ユダヤ人に対する差別を厳しく指摘された事も注目された点であった。また、この大会では全競技種目で日本初の金メダルを女子平泳ぎの前畑が獲得。アナウンサーの「前畑がんばれ」の絶叫が有名になった。第二次世界大戦は民主主義とファシミズムの戦で、ドイツと組んだファシズムの日本は敗れた。戦後のロンドン大会には戦争を起こした国としてドイツと日本はオリンピックに出られなかった。

◇1964(昭和39)年の東京五輪は廃墟から立ち上がった姿を世界に示す大会だった。新生日本は平和国家として存在感を示した。新幹線と高速道路はその一端を語るものだった。「東洋の魔女」・回転レシーブの女子バレー、「五輪の名花」チャフラフスカと体操総合優勝の遠藤の熱い友情と絆、マラソン円谷の光と陰など、この五輪には数々の人間のドラマが展開された。その上に立って今回の東京五輪が今行われている。

◇今回の塾で力を入れたのはパラリンピックだった。車いすのT市会議員も参加していた。かつては人の目を避けていたと思われる障害者が瞳を輝かせて生き生きと活躍する姿は、障害者の社会進出の夜明けを物語る。脊髄損傷者のリハビリからスタートした競技が国際競技となりオリンピックにまで発展した。オリンピックの理念が平等と人間の尊重にある以上パラリンピックこそオリンピックの到達点である。前回、1964年の東京五輪はパラリンピックの2回目であったが、この大会で初めてパラリンピックの名称が使われた。全世界の障害者が踊るような心でパラリンピックを見詰めたであろう。この大会で車椅子の選手団が堂々と進む姿は胸を打つものであった。今回、ウイルスの中で開かれるパラリンピックは不思議な程オリンピックにふさわしい。私はオリンピックの歴史に於ける金字塔になると信じている。(読者に感謝)